宝石エッセイ入選作品 2022年3月末締切り分

★★★ 2022年3月末締切り分 ★★★
宝石エッセイ募集の入選作品を発表します

この度もたくさんのご応募、誠にありがとうございました。
この宝石エッセイの募集も、今回で14回目を迎えました。
いつも多岐にわたる貴重なエピソードを、誠にありがとうございます。
ご寄稿いただいたエピソードはスタッフ一同で、全て拝読しております。
悲喜こもごも、皆さんの人生がギュッと詰まった大切なエピソードの中から、最優秀賞、優秀賞、入賞の作品をあえて選び出さなくてはいけない作業は、毎度毎度、とても難しいです。
そんな中、今回は14作品を選ばせていただきました。
ここに、最優秀賞、優秀賞、入賞作品として発表させていただきます。

◆総評

最優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「ほうせきや」は、きっと一度は子供の頃にみんな経験したことがあるのではないかと、懐かしい気持ちになるエピソードでした。祭囃子に提灯の明かり、その時間だけ子供を異空間に誘ってくれる魔法の時間。そこに現れる「ほうせきや」は、さぞや子供たちを夢中にさせたに違いないと、読みながらつい笑みが浮かび、子供の頃のようにワクワクしました。今もどこかのお祭りで、この「ほうせきや」は子供に夢を与えている。「どこかでまた会えるかな」と、郷愁を誘う温かなエピソードでした。

優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「結婚9年目のサンタクロース」は、“特別ではない特別感”を感じられる心ときめくエピソードでした。もちろん正直を言えば、女性としては毎年、クリスマスはもちろん誕生日や結婚記念日も一緒にお祝いをしてプレゼントを交換してその都度を特別な日としてお祝いしたいですよね。でも、「誕生日でも結婚記念日でもなくクリスマス。10年目でもなく9年目。」という節目があるようで無いこのタイミングでプレゼントしてくれたということが、旦那様にとって奥様の存在が「普段の生活の中でもいかに“特別”か」ということを表していると感じました。心の赴くままに、自分タイミングで・・・。とても素敵なご夫婦だなと心が温かくなるエピソードでした。

今回は、上記の他に入選作品を12作品選ばせていただきました。
人は、生れ出たその瞬間から、そして本当に幼いころから宝石やジュエリーをみて「綺麗だなあ」と思う心が宿っています。
それは経験から得たものではなく、まさに一目見た時の「直感」であり、「本能」。
そしてその宝石やジュエリーの価値は、贈る人や自分で選び出す人たちそれぞれの想いと結びつくことで、他に変わりのない、かけがえのない「宝」になるのだと、また再確認させていただける機会となりました。「人」と「宝石」の絆、これからも続いていくことをワクワクと見守っていきたいと強く感じました。

この度も数多くのご応募、本当にありがとうございました。
選出できなかった方々のエピソードも、それぞれ優劣付けがたく、その中で上記の賞を設けましたこと、どうかご容赦ください。

当店では今後もこうした募集をおこなってゆきたいと考えております。 次回募集の詳細は下記のページに掲載させて頂きます。

https://www.favorite-stone.jp/compe/

今後も皆様の宝石やジュエリーに対する想いや思い出に触れられますことを、楽しみにしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

フェイバリットストーン 店長 内山美緒

入選作品

最優秀賞

ほうせきや(たみ 様・愛知県・26歳・女性・フリーランス・自営業)

わたしの地元のお祭りには「ほうせきや」という屋台が出ていた。もちろん、ダイヤモンドやエメラルドなどの宝石を扱っているわけではない。お店のおじさんからハガキほどのサイズの巾着袋を購入し、金魚すくいができるほどの大きさの桶に敷き詰められた、それらしくカットされた色のついたガラスやプラスチックの塊を袋に入るだけ詰めるのだ。

当時の地元には子どもが入れるようなおしゃれな雑貨店などない。我々田舎の子どもはキラキラしたものに飢えていた。500円という小学生にとっては大金を握りしめ、こぞって「ほうせきや」に駆け込み、少しでも多くの石を詰め込むために頭をひねってぎゅうぎゅうと袋詰めをしたものだ。小型の石を大量に詰める質より量タイプの者や、珍しい形を探して30分近く粘る執念タイプなど、プレイスタイルに個性がでるのも面白い。選び抜いた石を持って家に帰ると、母親は「また役に立たないおもちゃを買ってきて」とあきれた顔をするのだ。

それから20年以上の月日が流れ、あの時小学生だったわたしもすっかり大人になった。田舎を離れてずいぶん経つのに、宝石店に行くたびにあの「ほうせきや」を思い出す。どの宝石店も手入れの行き届いた内装で落ち着いていて、素晴らしい意匠を施された宝石たちが並んでいる。雑踏と土埃にまみれた、宝石もどきが雑多に敷き詰められたあの屋台とは似ても似つかない。しかし、石を選ぶときのワクワクや、家に帰って見ているだけで心が躍るあの感覚をどうしても思い出してしまうのだ。

あの屋台は絶対に漢字で「宝石」と掲げなかった。ガラスやプラスチックでは本物の宝石となりえないと思ってのことだったのだろうか。宝石という言葉に明確な定義はないというけれど、人の心を動かし、記憶の奥深くに残り続ける石を宝石と呼ぶならば、田舎の祭りのあの屋台は、まぎれもなく「宝石屋」だったと、わたしは思う。

優秀賞

結婚9年目のサンタクロース (りこ 様・愛知県・37歳・女性・主婦)

誕生日にバレンタイン、結婚記念日にクリスマス、、、一年を通して記念日はいろいろあるけれどお互いプレゼントを用意していたのはいつくらいまでだったろうか。

結婚して子供が産まれ、生活基準が子供になってくると子供には用意しても夫婦でお互いにプレゼントをし合うことはだんだん薄れてきたように感じる。プレゼント選びもサプライズも好きな私は昔のように高価な物は送れなくても何かはとしばらく用意していたけれど、旦那さんからはだんだんなくなり、、主婦という立場になった今、自分の稼ぎでもないのに頑張ってやりくりしてプレゼントをする、これをプレゼントというのかすらわからなくなってきていた。

少しの期待ともらえなかった時の寂しさと物足りなさを感じながらも、感謝の言葉と普段よりちょっと豪華な夕飯を用意しておけば大人の記念日は完結でいいのかとやや諦めモードの結婚9年目のクリスマス。思いがけないことが起きた。旦那さんからダイヤの一粒ネックレスのプレゼント。どんな服装にも合いそうなシンプルなデザイン。やっぱりうれしかった。そんなに物欲はない方だけれどプレゼントは素直にうれしい。それから「こういうのも好きだと思って、、、」とガラスのケースも一緒に差し出してくれた。シンデレラのガラスの靴じゃないけれど女子って年齢でももちろんないけれどなんだかとてつもなく女子になった気分でうれしかった。

それからはまたパッタリもらえなくなったプレゼント。よく考えたら誕生日でも結婚記念日でもなくクリスマス。10年目でもなく9年目。次はいつなのか旦那さんのちょっとズレた読めないタイミングに期待しては凹みを繰り返しながら今日も私の首元でダイヤのネックレスは幸せに満ちて輝いている。

入選

ひろこおばちゃんからの指輪((谷口亜紀子 様・大阪府・42歳・女性・会社員)

ひろこおばちゃんは私が二十歳の時から、私に渡す為の「ご祝儀」を貯めていたらしい。ご祝儀というか、結婚資金だそうだ。
「もう封筒が立つとよ」
40歳を迎えた日に、電話越しにひろこおばちゃんが言った。年金からこつこつ貯めて気付けば20年。私の為の結婚資金を納めた封筒が立ったらしい。
彼氏はおるとね?結婚はどげんね?
彼氏はおらんよ。結婚のけの字もなかとよ。こればっかりはご縁やけん、仕方んなかね。
仕方んなかばってん、おばちゃんも歳やけん、そのうちボケて、あがん為に貯めた結婚資金の封筒も自分で忘れてしまうかもしれん。あら、こん封筒は何ね?お金が入っちょる。ラッキー、って自分で使うてしまうかもしれん。今でさえ、こん封筒のせいで、旅行に行くのも気が気じゃなかと、こげんな大金、どこに隠して行こうかっち、隠すのに手がかかるとよ。じゃけん、早う結婚しろ、と言うけれど、本当にこればかりはご縁だからしょうがない。
おばちゃんの気持ちは本当にありがたいけど、その気持ちだけで充分だ。だから、私の為に貯めたお金はおばちゃんが好きなように使ってくれ、と伝えてから数日後、私の元にひろこおばちゃんから現金書留が届いた。中身は5万円。貯めた結婚資金の一部らしい。
「そん金で、よか指輪ば買え。彼氏から貰ったつもりのよか指輪ば買え」
にしては、ゼロが一つ足りない、とは言えず、私はその5万円でK18ゴールドのリングに、オーバルシェイプされたエメラルドが付いた少しアンティーク調なシンプルな指輪を買った。ひろこおばちゃんの形見として大事にするけん。そうお礼を伝えると、ひろこおばちゃんは「まだ死んどらん」と笑っていた。
私が結婚するのが先か、ひろこおばちゃんが死ぬのが先か。次の節目は50歳。次はダイヤば買え。ひろこおばちゃんは笑って言っていた。

入選

待ってます(かわしまピッピ 様・京都府・59歳・女性・主婦)

「結婚式は挙げられない。」今から30年近く前、私は当時付き合っていた人から告げられた。
いつもと同じように家まで送ってくれる車の中、信号待ちをしている時にいきなり言われた。
「それでもいいか?結婚式をしなくても結婚してくれるか?」彼の言葉に助手席の私は返事も出来ず、ポカンと前の赤信号を見ていた。

その時になんと答えたのか、あるいは何も応えずポカンとしたままだったのか今となっては全く思い出せない。ただ周りから大反対され、まだ赤信号の状態だというのに見切り発車のごとく、ほどなく籍を入れた。

結婚してからは毎日かつかつの生活だった。その日暮らすのが精一杯で貯金もなく、頼る人もなくどうにかやっているという感じだった。
「同じ職場の先輩がここのお店のカードを持っていて1割引きで買えるらしい。」私たちは結婚式はおろか結婚指輪も買っていなかった。「指輪がないと結婚している実感が湧きにくいかなと思ったから。」彼は一生懸命に言葉を継いだ。

「いらないかな。」私のひとことに彼は黙ってしまった。「気持ちはありがたいけど今は日々の生活が精一杯だから。」本当は私もはめてみたかった。しかし金銭的にも精神的にも余裕がなかった。指輪よりも1本の大根、10kgのお米が欲しかった。「わかった。早く生活を安定させて、きっとその時は一番好きな指輪を買おう。」

あれからずいぶん経ったがあの時以来彼からは一度も指輪の話が出てこない。その間にお店は閉店してしまった。

それでもあの約束はいつ実行してくれるのだろうか。いまさら言い出すのもなんだかなと思うけど、左手の薬指が寂しそうなんだ。私の信号は青よ。まさかまだ信号待ちしてるんじゃないよね!

 

入選

MUGと指輪(浅岡幸子 様・北海道・72歳・女性・主婦)

「お父さん、今更指輪なんていらないよ。こんな高価なものを。」
「いや、今だから、お前にこの指輪を上げたい。ほんとに、苦労をかけたよ。」

夫は、言いながら泣いていた。大粒の涙を流し、拭おうともしないで、「指輪を上げたい。」と何度も言い続けた。夫が癌で亡くなる二か月前だった。4月の初めだというのに、真っ白い雪が降り続いていた。

夫と出会ったのは、35年前の7月の北海道江別市の陶芸市だ。友人と百件以上もあるブースを冷やかしていると、取っ手に赤いレザーを巻いてあるような白いマグが気になった。とても持ちやすく、手に馴染む。私はためらいもなく、そのマグを購入した。家に戻って、マグの包みをほどくと、窯元の栞も同封されていた。『赤泥窯 浅岡章太郎』。私は窯名と窯元の名前を頭に焼き付けた。なぜか気になる存在になった。毎朝、マグでコーヒーを飲むと、彼の顔を思い出す。どうやら好いたらしい。友人を誘って、彼の窯元を訪ねた。2回目からは一人で行った。そして、いつの間にか、彼の仕事を手伝っていた。その後、同棲、結婚。いわゆるズルズルべったりというやつだ。両親も半分呆れて許してくれた。堅い公務員家系の父は一人ぐらい芸術家もどきがいてもいいだろうと、思ったに違いない。だが、苦労の連続だった。地元の土で、成型用の粘土を作る、釉薬の研究、穴窯の製作など、それこそ夫と共に、懸命に働いた。やっと、人並みの暮らしができたころ、夫に癌が見つかった。

今、あの時のマグで、淹れ立てのコーヒーを飲んでいる。この時私の指にはいつもダイヤの指輪がはめられている。不思議と寂しさはない。それどころか、幸福感で満たされる。外では、もうすぐ春が来るのを知らせるように、淡い雪が降っている。

入選

愛にあふれたヒスイの指輪(木下富砂子 様・静岡県・101歳・女性・無職)

嬉々として歩いた60代、息子の嫁に美容院を任せてからは、夫と二人だけの暮らしになりました。散歩の好きな夫でした。人目も憚らず、手を繋いで歩いた日々。近くの桜並木の落花の舞。なんと綺麗だったことか。そよ風に揺れる雪柳の白い花を愛で、クローバが生い茂る道延べで休みました。幸せを呼ぶという四つ葉を探しました。なかなか見つからない私をよそに、夫はすぐに見つけました。今も夫の日記帳に挟んであります。

出会いは中国の徐州でした。乳飲み子がいる4人の幼い子供達と、徐州で穀物商を営んでいた私達家族のもとに、現地で除隊した義弟が兄の店を手伝うために訪ねてきたのです。その頃は、兄嫁と義弟の間柄でした。戦中、戦後を生き抜いて、4人の子を残して夫は病死しました。まだ40歳を過ぎたばかりでした。泣くに泣けない日々。でも生きなければならない。

持っていた美容師の資格を生かして、美容院が持てたのは義弟のお陰です。花も実もある人生を捨てて、4人の子の父親になってくれました。ご飯を炊いて、子等に食べさせ、勉強を見てやって、学校のことは全部やってくれました。髪結いの亭主の陰口など、一向に気にせず、裏方を引き受けてくれました。

荒波を乗り越えて70年。夫は6年前に逝きました。百万回のお礼を言います。ともあれ早く逢いたいです。

あの世に行ったら、シャガールの絵のように、手を繋いで宇宙散歩をしましょうね。あなたが買ってくれたヒスイの指輪が、左手の薬指にキラキラと輝いて、月も星も、いいねいいねって喝采してくれます。

夫の愛は海よりも深く、山よりも高いのです。ありがとう。会える日を楽しみに、今日もホームのベッドに入ります。夫はいつも、夢の中で優しく微笑んでいます。

入選

行き過ぎた特別 または 悲しき思春期(ふたつお 様・東京都・33歳・女性・会社員)

高2の冬、両親の銀婚式があった。折角だし何か贈らない?と大学生の兄に声をかけると、さらりと回答がきた。
「なら母には、ちょっといいネックレスでも贈るか?」
さて「ちょっといいネックレス」を求め決めた初めての宝石店訪店。それは当時の私にとって非常に緊張する潜入だった。小汚いと摘み出されない?挙動不審と睨まれない?文無しと鼻で笑われない?まさか偽物を掴まされない?田舎者の被害妄想は止まるところを知らない。
予算は兄と決めた。宝石言葉や誕生石など調べに調べた。お出かけ用にスカートを新調した。素敵な品を紹介頂く為に、舐められてはいけない。謎の使命感に追われ、想定問答までした私はどこまでも大真面目だった。
満を持して迎えた訪店。大方お察しかとは思うが、私の「優雅にご購入」作戦は綺麗に失敗した。眩しい店内に慄きつつ、店員さんにしどろもどろで事情を説明する。
「銀婚式のプレゼントで」
「あ、母にネックレスを、はい」
「上限四万円くらいで」
「誕生石を、サファイアとか、えっと」
想定問答までしてこのザマだ。それでも店員さんは優しく話を咀嚼し、予算と母宛というのを鑑みこちらは、と丁寧に接客してくれた。少し泣きそうになりつつ協議を重ね、最終的に素敵なサファイアのネックレスを購入できた。優雅はどこへやら、気分ははじめてのおつかいである。
銀婚式当日、兄妹からの贈り物に両親は大いに喜んだ。
「わあ素敵!」
「うん、誕生石だからこれにした!」
「父さんの誕生石をくれるなんて、洒落てるね!」
・・・うん?父の誕生石?その場は笑顔で誤魔化した。
母は5月産まれ。誕生石はエメラルド。
父は9月産まれ。誕生石はサファイア。
改めて確認し私は膝をついた。混乱の中、欲しい宝石を間違えていたのだ。
母は今でもネックレスを気に入っている。金婚式にはエメラルドを贈りたいと考えているが、懺悔をすべきか悩むところだ。

入選

プラスチックダイヤモンド(おあげちゃん 様・愛知県・32歳・女性・フリーランス・自営業)

『おしゃれ心が芽生えだす女の子にとって魅力的な、かわいいペンダントが全20種類。』
という売り文句が書かれた玩具菓子。袋詰めスペースに備えられた巻き取り式のビニール袋にそれを入れて、嬉しそうに小走りだ。私の横に座るなり袋から取り出し、箱の開け口をそそくさと探す。
「お母さん、これ、どこから開けるの?」
「上か下の重なってるところを剥がしてごらん。どっちから開けても大丈夫だよ。」
言われた通り、箱の上部をベリッと勢いよく破くと、少し穴が空いた。穴に指を突っ込んだと思えば、次には箱を逆さにしてブンブン振り回す。が、出てこない。もう一度穴に指を入れ、蓋の裏へ指を引っ掛け勢いよく指を引く。穴が大きく開いた。すかさず逆さまにすると、スルッと出てきたのはチョコレートとペンダントだ。
「わぁ…」
右手のペンダントに視線を残したまま、左手でチョコレートを私に追いやる。チョコのおまけがペンダントなのか、ペンダントのおまけがチョコなのか。ペンダントの中央部には、いかにもケバいピンク色のプラスチックダイヤモンド。

一歳くらいからだろうか、キラキラした物を見ると手を伸ばすようになったのは。子どもにはよくある光景だ、とその時は気にも止めなかった。それが六歳になった今、毎週のようにストーンミュージアムに行きたがり、鉱石や宝石の発掘体験をせがまれる。電車内の広告に宝石店の写真など見つけては、買って買って!と乗客の笑いを誘う。ルビーにトパーズ、ダイヤモンド…。中でもお気に入りは、神秘的な虹色に輝くオパールだ。結婚指輪の内側に付けた直径1mm程度の誕生石など、ちっぽけすぎて宝石認定すらしてくれない。

自慢の息子は大きなプラスチックダイヤモンドを胸に、負けじと目を輝かせている。多様性の時代に生まれた新人類の原石が、ついに、小学校へ入学するのだ。

入選

深紅色のバトン(真昼のサボテン 様・神奈川県・21歳・女性・学生(大学/大学院/専門学校))

20歳の誕生日に渡されたのは、正方形の小包だった。
水色のリボンで可愛らしく装飾されたそれは、母から私へのプレゼントである。
中には、ルビーの指輪が入っていた。金色のリボン型に、ワインレッドの楕円がはめ込まれている。宝石を贈られたことも、身につけたこともなかった私は、思いがけない母からのプレゼントに驚いてしまった。
目を丸くしすぎたのか、母が微笑みながらこの指輪について教えてくれた。
「これね、ママが結婚する時にバーバにもらったものなの。ジージが旅行に行った時に買ってきたんだって。ママのお気に入りだったけど、ハタチのお祝いにあげる。大切にしてね」
指輪は、祖父が祖母に贈ったものだったのだ。今から30年ほど前だろうか。
たしかに、指輪には新品の放つ真新しい輝きはなかった。そのかわりに、やわらかな光沢が宝石を包んでいた。
ルビー。この響きはそれまで自分に馴染みがないものであったはずなのに、今ここにある指輪に対して、すでに愛着を感じているのが不思議だった。指にはめてみると、自分の手が急に大人びて見え、肌の上では落ち着いた赤色がさらに輝きを増したようだった。何度も自分の手を眺めては、口もとが緩んだ。
この指輪がこんなにも綺麗なのは、家族の歩みと共にあった部分が大きいだろう。
祖父があげたプレゼントを大切にし続けた祖母と、祖母から受け継いで同じように大事に扱ってきた母。この30年があったからこそ、今の輝きがある。
私は、勇気がほしい時や落ち込んでしまった時、この指輪を身につける。
深紅色の艷やかな光に見守られ、励まされる。手放すことができない宝物だ。
だが、私にもこの指輪と別れる時が来る。娘へ、孫へ、この深紅色の光が、これからも私たち家族を照らしてゆくことを願う。

入選

イマジナリーお姉ちゃん(春日長女 様・東京都・26歳・女性・会社員)

妹と弟がぽこぽこ産まれて、いつの間にかわたしは5人兄弟の長女になった。
きょうだい達はかわいいが、ずっと姉に憧れていた。
勉強やおしゃれを教えてくれる、自分より長く生きた姉がほしかった。
姉は突然発生するわけもなく、私は自力で勉強し、なんとか社会人になった。職場での処世術を教えてくれる綺麗な姉がいたらな、とないものねだりをするほどかわいくなくなってしまっていたし、その頃からはどちらかといえば妹たちに憧れられる姉でいたいと思うようになった。
というのは建前で、実在しない綺麗で仕事のできる、優秀な姉を心に飼っている。イマジナリーお姉ちゃんはいつも私の味方でいつも優しい、そんな理想ばかりの唯一無二の姉。ただお姉ちゃん、と呼びたい。私がきょうだいにも親にもそう呼ばれるように。
就職して3年目の夏、三女が成人した。
次女の大学卒業の前祝いと合わせて、友人の働く宝飾店でお揃いのネックレスを二つ買った。
一つはサファイア。次女の誕生石。もう一つはペリドット。三女の誕生石。
そこまで余裕がなくて、両方とも小さな石だ。かわりにそれなりにきちんとした金の台座とチェーンを。友人が器用にラッピングして、色違いのリボンをかけてくれた。渡すのにちょっと緊張して、もじもじした。妹ズはきゃっきゃっと喜んで、なぜか母が涙ぐんでいた。
このプレゼントは、きっとイマジナリーお姉ちゃんも何かの節目に私にこういう素敵なプレゼントをしてくれると思ったから。ずぼらな私のために錆びたりくすんだりしにくいものを選んでくれると期待したから。
値段とか価値とかじゃなく、私を勇気づけるための贈り物をしてくれる。

これからいくら長く生きても、私は誰かの可愛くて仕方のない妹にはなれない。
その代わり、私は私の可愛くて仕方のない妹たちに、自分の想像上の姉にしてほしいことを全部贈ろう。少しでも私自身が理想の姉に近づけるように。

 

入選

ふたりで掘った石の手作り指輪でプロポーズ(斬井 なおと 様・長野県・45歳・男性・会社員)

「10年目にダイヤの指輪を贈る!」
そう誓ってから今年で17年…
20年前、妻は派遣先の先輩でした。その頃から、とてもかわいらしく、優しい妻に、私の方がべた惚れ。不釣り合いと思いながらも、気持ちを伝え続けた結果、お付き合いできることに。
当時の私は、定職につかず、ひとりで食べていくのがやっと…。
やがて自然とお互いに結婚相手を意識するようになり、
正社員として働きだしたのをきっかけに、プロポーズを決心しました。しかし、指輪を買うような貯金がありません。
私の家の近くの山では1月の誕生石「ガーネット」が採れます。
妻の誕生日は1月です。
これしかない!と、私は妻を「宝石を掘りに行こう」と誘い、ガーネットの眠る沢へ向かいました。実際のガーネット堀り(探し)はとても地味、、。
沢のそこをスコップですくい、網にいれ、沢の水で洗う、、
網に残っている小石の中から、それらしきものを探す、、
この繰り返しです。
いまでも妻はこの時のことを覚えていて…、
チャレンジして2時間(もやっていた…)。ついに直径7mmほどのガーネットを見つけたのですが、
「これでプロポーズできる!」と思った私に対して、妻は「やっと帰れる」と思っていたそうです…。
見つけたガーネットを、知り合いの指輪師に預け、石を埋め込み、指輪を作りました。
妻もうすうす気づいていたそうですが、
人生で最も大切な日、私は二人で見つけたガーネットの手作り指輪でプロポーズ。妻は受け取ってくれ、受け入れてくれました。
でも、私はこの時誓っていました。
10年後は必ずダイヤを渡すから…
その月から、自分だけの通帳に、コツコツと貯金をしていたのですが、、
3年前単身赴任が決まり、子供たち…なによりも奥さんに会いたくて、毎週家へ帰る交通費として、この貯金を切り崩すことに…
一生に一度、妻にダイヤをプレゼントしたい!
また一から始めています!

 

入選

虫が入ってるから、綺麗やの(茜マヤ 様・京都府・22歳・女性・学生(大学/大学院/専門学校))

「おばあちゃん、これ、何?」
磨りガラスから放たれる強い光に照らされて、キラキラとしかいいようのない輝きを放つ“それ”を私が見つけたのは、3,4歳頃か、とにかく幼い時分のことだった。“おじいちゃんの図書館“と私が呼んでいた、祖父母の家の二階にある小さな書庫の片隅に、蜜色の“それ”はそこへ偶然落ちてしまったかのように、ひっそりと置かれていた。
「あ、それは琥珀というんよ」
京なまりの美しい響きと共に祖母は私の方へと向き直り、ゆっくりとしゃがんで“それ”を手にとった。しわの刻まれた祖母の手の中で、じゃらりと重たい音をたてて華やかに光るそれは、まさに、大粒の琥珀がいくつも連なった豪奢なネックレスであった。
「ちょっと見てみ」
私がぼうっとしていると、祖母は、何やらにやりと笑って、私の目の前に琥珀たちをかざした。琥珀を挟んで私の目の前は窓。惜しみない昼の光の中で、顔が痛くなるくらいキランキランと輝くその宝石のあまりの美しさに、つ、と手を伸ばしかけたその時。
「あっ」
私は驚きのあまりひっくり返りそうになった。祖母は、そんな私の様子を見て、さっきよりも相好を崩して笑っていた。
「おばあちゃん、それ虫やわ、虫やでそれ!」
おのずから光を発するかのような神々しい輝きの正体が、無数の虫とその羽根であるとわかった私は、わあわあと喚きながら後ずさり、先ほどまで惹かれに惹かれた琥珀と距離をとろうと必死になった。
「それ、取れへんの?虫、取り出して捨てへんの?」
怯えながら恐る恐る問う私を、祖母はおかしそうに見つめて頭を撫でた。
「うん、取れへんの。これは、虫が入ってるから、綺麗やの」

祖母は別に教訓を説こうとしたわけではないのだろうが、その時の祖母の言葉は書庫に充ちた光や埃の匂いごと覚えていて、今でもふと、世界の清潔な美だけを眺め望むとき戒めのように思い出す。「虫が入ってるから、綺麗やの」と。

 

入選

母の結婚指輪(坂口侑貴子 様・大阪府・36歳・女性・主婦)

すっかり痩せた父から、見慣れない木の箱を渡された。父は特に何も伝えず「突然」渡された。その場でさっと開けると、中には指輪とネックレスがいくつか。父が一言だけ「お母さんのじゃ…」その後の言葉を聞くにはメンタルが保てない気がして、「わかった」と遮ってその木の箱を受け取った。

母は私が高校3年生の時に、4年の闘病の末、亡くなった。当時の私の記憶は悔しいくらいにあまり無い。痩せて、人相が変わってしまった母を受け入れることが最期までできなかったように思う。母は竹を割ったような性格だった。おおらかというか、大雑把というか、豪快というか、太陽のような人だった。母の周りにはいつもたくさんの人がいた。底抜けに明るい人だった。

私にはいま、優しすぎる夫と元気な3人の子供がいる。育児に追われる毎日のなか、ふと騒がしいリビングを抜けて2階の寝室へ上がった。急に今ならあの箱を開けてみることができると、思ったのだ。開けるとそこはキラキラしていて、何年も前のものなのに、爽やかで澄んだ空気が纏っていた。1つのシンプルな指輪に目がとまった。手にとって、よく見ると、指輪の内側に印字が見えた。少しの間をおいてわたしは気づく。「結婚記念日か…」と独り言を思わず呟いた。化粧っ気もなく、アクセサリーもつけていたイメージが全くない母の結婚指輪だった。胸がキュッと苦しくなると同時に少し笑ってしまった。それはそれはキレイなままの結婚指輪。それを見て母が紛れもなく、父と恋愛をして結婚をして、明るい未来に向けてたくさん話をして一生懸命家庭を守ろうとした、その欠片を見ることができた気がして、嬉しかったりもした。

母と同じように闘病してる父が、どのような思いで渡してきたのかは分からない。あまり考えたくもないのが本音だが、私は父と母の子で本当によかった。それを示してくれた結婚指輪、羨ましくなるくらい素敵な指輪だ。

 

入選

あなたの誕生月、2月(jandy0517+ak 様・千葉県・32歳・女性・会社員)

「結婚して下さい。」
予想はしていたけど、恥ずかしがり屋な彼から、こうもストレートに言われると何だか嬉しかった。もちろん、前向きな答えをした。
「やっぱり、結婚指輪は欲しいの。だけど、どのブランドとか、憧れはないんだよね。」
何の気なしに、私がそんな事を言うものだから、彼は困っていた。数日後、私たちの世界に一つだけの指輪を作ろう、ということで表参道へ向かった。特段の希望もなく、ただ、シンプルなデザインの結婚指輪が欲しいと思っていた。想像以上に本格的な手作り体験ができるお店、というのが印象的だった。指輪の型から、付けるダイヤまで全部、自ら決める経験をする人生がやって来る、とは…。ふと、そこで今まで宝石に疎かった私は、こう言った。
「あなたの誕生石を身につけたい!」
今まで、男性とステディな交際をしたことがなかった私は、運命の人との共同作業で何を欲するのかわかっていなかった。予想外に積極的で、かつ衝動的な自分の気持ちに少し驚きながら、彼の誕生月である2月の誕生石を意気揚々と選んだ。パープルがとても美しく、しかしながら控えに輝くアメジストが、私の心を満たしてくれた。
1ヶ月後、夫婦で初めての共同作業となった、結婚指輪が自宅に届いた。夫が優しい眼差しで、私の薬指に指輪をするりと通してくれた瞬間、言葉では表現しきれない幸せな気持ちで満たされた。想像以上に、思い出に残るイヴェントになり、私たち夫婦の絆もより深まった。宝石とは、今まで購入するものだと思い込んでいたが、自分たちで制作することもできるのだ、と考えると何だか愛着が湧いてきた。
「きみが、迷わずに、僕の誕生石を選んでくれるとは、驚きだったよ。ありがとう。」
恥ずかしさもあるが、その”ありがとう“が私たち二人の関係に宝石のようなキラキラを与えてくれた。永遠に輝き続ける夫婦関係、そんな二人を求めるのも悪くないよね、なんて思ってしまうのであった。