宝石エッセイ入選作品 2021年8月末締切り分

★★★ 2021年8月末締切り分 ★★★
宝石エッセイ募集の入選作品を発表します

いつもたくさんのご応募、誠にありがとうございます。
今回で12回目を迎えることができました。
いつも貴重なエピソードを、誠にありがとうございます。
ご寄稿いただいたエピソードはスタッフ一同で、全て拝読しております。
毎度のことではございますが、その中で最優秀賞、優秀賞、入賞の作品をあえて選び出さなくてはいけない作業は、とても難しく、非常に心苦しく感じます。
そんな中、今回も11作品を選ばせていただきました。
今回は、例外的に「最優秀賞 該当なし」とさせていただいております。
優秀賞1名、入賞10名となっておりますので、どうぞご了承ください。

それでは、ここに発表させていただきます。

◆総評

まず、「最優秀賞」に選ばせていただいた方は、諸事情によりご辞退されましたことをご報告いたします。

優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「プレゼントは食べ物派だった私へ」は、作者様の気持ちも、パートナー様の気持ちにもどちらにも共感できる、とても心温まるエピソードでした。プレゼントって、お互いの価値観の交換のような意味合いもありますよね。それは時に噛み合わない時もあるかと思いますが、今回のエピソードのように、「自分の中に眠っていた新たな自分」に出会える素敵なきっかけにもなりうるのだと感じました。「身につけるものをプレゼントしたかった」というたったワンセンテンスからでも、彼氏さまの作者さまへの強い愛情を感じられる、とても幸せな気持ちになるエピソードでした。

今回は、上記の他に入賞作品を10作品選ばせていただきました。
宝石は、特別なもの。なぜ特別なのか?キラキラしているから?珍しいものだから?高価だから?理由は人それぞれだと思います。でもいつもお寄せいただくエピソードを拝読し終えた感想として真っ先に心に思うのは、「宝石やジュエリーに特別な価値が生まれるのは、所有者やプレゼントする人の想いがあってこそ」だということです。宝石やジュエリー自体にももちろん価値があるものですが、そこに私たち人間の「心」が寄り添うことによって、よりいっそうの唯一無二の宝石になるのだと、改めて強く感じました。

この度も数多くのご応募、本当にありがとうございました。
選出できなかった方々のエピソードも、それぞれ優劣付けがたく、その中で上記の賞を設けましたこと、どうかご容赦ください。

当店では今後もこうした募集をおこなってゆきたいと考えております。
次回募集の詳細は下記のページに掲載させて頂きます。

https://www.favorite-stone.jp/compe/

今後も皆様の宝石やジュエリーに対する想いや思い出に触れられますことを、楽しみにしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

フェイバリットストーン 店長 内山美緒

入選作品

優秀賞

プレゼントは食べ物派だった私へ(ちいぱんだ 様・静岡県・30歳・女性・パート・アルバイト)

「宝石やアクセサリーのプレゼントより食べ物の方が嬉しい!」
花より団子ということわざを体現したような私は彼にそう伝えていた。幼い頃からテレビや漫画で恋人に宝石やアクセサリーをプレゼントしてもらうシーンを見るたびに
「私は食べ物のプレゼントの方がいいな。」といつも思っていた。自分には似合わないという事や無くしたら困るという気持ちはもちろんあったが、単純に宝石やアクセサリーに興味がなかったのだろう。大人になっても宝石やアクセサリーを身につけることはなかった。
そんな私にも初めて恋人ができた。私と同じ食いしん坊の彼。お付き合いした当初にプレゼントは宝石やアクセサリーより食べ物が希望であることを伝えたら私らしいと笑った。 
私が希望を伝えたことを忘れた頃、記念日に彼がプレゼントとして小さくおしゃれな紙袋を渡してくれた。人生で見たことのないサイズの紙袋から出てきた小さな箱、その中にはダイヤでできたかわいらしい花のネックレスが入っていた。
「こういう物はいらないと聞いていたんだけど身につけるものをプレゼントしたかった。」
彼は何件もお店を回って私のために一生懸命選んでくれたらしい。話を聴きながら私は嬉しくて泣いてしまった。あんなにいらないと言っていたのに泣きながらネックレスをつけた私を彼は照れながら
「プレゼントしてよかった。やっぱり似合っている。」と褒めてくれた。
私にとって初めてのダイヤ、初めての宝石には彼の想いがたくさん詰まっている。
「アクセサリーをプレゼントされるってこんな素敵なことだったんだ。」
輝くネックレスをつけた自分を見た瞬間に初めて宝石の良さを知ることができた。
「大切に…絶対大切に使うね。」
彼は優しく笑ってくれた。
その言葉の通り私は毎日欠かさずネックレスをつけている。プレゼントは食べ物派だった私へ
宝石をもらうっていうのも幸せだよ。何年か後を楽しみにしていてね。
今日も私の胸元で小さなダイヤの花は咲いている。

入選

サファイアの想い (進ノ介 様・大阪府・44歳・男性・会社員)

「私たちはいつでも会えるから」 彼女はそう言った。

彼女はサファイアが好きだった。そして僕は彼女が大好きだった。
誠実で優しい彼女のためなら、何だってできると思っていた。
もちろん、ごくありふれた平凡な恋愛だと思う。
それでも僕にとってはこの上なく大切な恋愛だった。
仕事を頑張り、少し背伸びをして綺麗なサファイアを買った。彼女は喜んでくれると思ったが、少し困惑したように言った。
「こんなに高い指輪、貰えないわ。好きだけど、好きなだけ。・・・私たちはいつでも会えるから」

僕は渡しそびれたその指輪を、彼女と結婚して3年目の彼女の誕生日に改めてプレゼントした。
その時、妻は不思議と嬉しそうに受け取ってくれた。
シンプルな指輪だが、妻にとてもよく似合っていた。
それからしばらくの間、僕たちは夢のような日々を過ごした。
そして僕たちは娘を授かった。

妻は期せずして、30代前半に病を患い、他界した。
それ以降、僕は人生の意味について、螺旋階段を上り下りするように結論の出ない考えを巡らせるようになった。彼女を失ってまで生きている意味はあるのだろうか。妻はあの時、「私たちはいつでも会えるから」、と言った。
僕は何度も自分を見失いそうになった。

妻は娘を一人、残してくれた。
まだ幼いが、目と口元が彼女にそっくりだ。
なぜか、よく 「パパとはいつでも会えるね!」 と言った。

僕の部屋には、残されたサファイアの指輪がある。3人で撮った写真の前に置いてある。
次第に、「妻は何らかの想いがあって、その生を娘にバトンタッチしたのだ」、と考えるようになった。
その想いは分からないが、妻は指輪にその想いを封じ込めたのではないか。

娘が大きくなったら、指輪を渡そう。それで、娘は名実ともに妻の生まれ変わりになるのだろうか。
いつか僕が妻のもとに行ったとき、その想いが分かるのかもしれない。
それまでは妻への感謝を胸に、娘を大切に育てながら、前向きに生きようと思う。

入選

父のアクセサリー (紫水晶 様・新潟県・63歳・女性・主婦)

世の中の景気が良かった頃、小さな会社を営んでいた父も、その頃に限って言えば、それなりに景気が良かった。

旅行に行くと、ささやかなものだが、宝石のアクセサリーをお土産によく買って来てくれた。ブローチだったり、イヤリングだったり、色々。
 もらう私ではなく、父の方が嬉しそうに、アクセサリーを私に渡してくれた。
「どうだ、いいだろう」
「う、うん、なかなかいいね」
 適当に相槌は打っていたが、ほんとうは困っていた。

父とは趣味が合わない。父の選ぶ宝石のアクセサリーは、決して私が選ばないものだし、似合わない。はっきり、自分の気持ちを伝えれば良かったのだが、父の嬉しそうな顔を見ると、どうしても、アクセサリーは、要らないとはいえなかった。
 よって、殆ど使われないまま、アクセサリーは溜まっていき、そのまま長年、保管し続けるしかなかった。

しかし先日、掃除の折に件のアクセサリーを見つけ、戯れにつけてみた。
 驚いたことに、これらがどれも似合うのだ。昔から、私をずっと知っていたように馴染む。 胸元に、耳元に、ぴたりと定まる。 

宝石は地球の奥で、永遠かと思われるほどの年月をかけて、すざましい熱や圧力にさらされて、出来上がるという。

思えば、今、私はあの頃の父の年齢を超えている。私の人生も父の手元を離れた後、平穏に過ぎたとは言い難い。世の中の、酷い熱さや圧力も、嫌というほど経験した。
 その果ての果てに、父の選んだ宝石が似合う人間に、私はやっとなれたのだろうか? 

父は、ずっと昔に旅立ってしまったが、もらった宝石のアクセサリーをつけて、
「父さん、似合う?」と聞いてみたい。

 

入選

豪州のお父さん(ミモザ 様・静岡県・49歳・女性・フリーランス・自営業)

近頃「断捨離」が流行っている。私も五十歳を目前にして、身の回りの整理を始めることにした。できる事から少しずつと、まずは机の引き出しの整理から始めた。すると引き出しの奥から小さな箱が出てきた。何が入っているのか思い出せないまま箱を開けた。その中にはオパールのネックレスが光っていた。
それは十数年前にオーストラリアに語学留学をしていた時にホームステイをしていたホストファミリーのお父さんから貰ったオパールのネックレスだった。「あっ…」私はそのオパールを見た瞬間、自分の心臓の鼓動がどんどん早くなっていくのを感じた。「安物だけど」お父さんはそう言って帰国の途に向かう空港で私に手渡してくれた。受け取った私の手を握り「何人か海外の留学生を受け入れてきたけど、みんな帰国してしまうと連絡をくれないんだよ」そう言うお父さんの手を私は強く握り返したのを覚えている。お父さんが言った言葉通り、帰国してから私は手紙一枚書いていなかった。私はオパールを見つめながら居ても立ってもいられなくなり、便箋を取り出して手紙を書いた。
それから一か月程が経って、ホストマザーから手紙が届いた。そこにはお父さんは三年前に亡くなったとの内容が書かれていた。お母さんからの手紙を読みながら、私は溢れ出てくる涙を止められなかった。そして「帰国したらみんな連絡をくれないんだよ」そう言って寂しそうな顔をしたお父さんの横顔が私の脳裏に何度も浮かび上がった。オパールのネックレスと再会するまで、オーストラリアでの日々が遠い記憶になっていた。そんな私はお父さんにとって、帰国したら連絡をくれない留学生の一人になっていたのかもしれない。私はこんな親不孝な自分を心から恥じた。私は涙に濡れた手でオパールのネックレスを首にかけた。「お父さん、ありがとう。そして、ごめんなさい」そう言って、天に向かって手を合わせた。

入選

病室にて(石塚 美織 様・東京都・36歳・女性・会社員)

主と結婚して8年。私は毎朝、結婚指輪を左手の薬指にはめる。隠れ家のようなサロンで、2人で相談して決めたお気に入りの指輪。日常生活を送る上でも、邪魔にならない小ぶりのダイヤモンドが付いている。私はいつも、そのダイヤモンドのまばゆいきらめきを眺めるのが好きだった。

ある日突然、指輪をはめる際に違和感を感じた。関節が痛み、指輪が奥まで入らないのだ。次第に痛みは全身に広がり、難病と診断。治療のために数ヵ月の入院生活を送ることになった。時はコロナ禍。家族でさえも面会は一切禁止の、孤独な入院生活。痛みに耐えながら、病気のこと、健康のこと、未来のこと……。いろいろなことを考えた。そしてふつふつとあふれ出る、夫への想い。
「出会った日から、どんな時も変わらずに私を受け止めてくれたなあ」

主との出会いは大学のサッカーサークル。いろいろなところにお出かけをして、一緒に楽しい思い出を刻んだ。めでたく結婚し、かわいい2人の子どもたちにも恵まれた。その間、私は仕事がうまく行かず、精神が沈みがちになった時期も。初めての子育てにてんてこまいで、いら立ちが止まらなかった日もある。そんなとき、夫はいつもありのままの私を受け止めてくれた。私がどんなにひどい状態でも、ただ話を聞いて寄り添ってくれたね。だから困難な時も、いつも前を向くことができた。夫が注いでくれる愛が日常になって、そのありがたみに気づけていなかったよ。

幸いにも早期の治療が功を奏し、体調が回復した私。病室で、久しぶりに結婚指輪に指を通してみる。すっと、薬指に収まるダイヤモンド。まるで心が優しさに包まれるよう。その日、主治医から退院の許可が下りた。
「退院したら、真っ先にあの隠れ家に行こう」

そこは、夫と指輪を購入した思い出のサロン。少し年季の入ったこの結婚指輪を、ピカピカに磨いてもらうつもりだ。夫を無垢に見つめた新婚時代を思い出して。

入選

お洒落に生きる(潮海 啓 様・富山県・60歳・女性・主婦)

私の左手には婚約指輪と並んでアメジストの指輪が鎮座している。和名は紫水晶。私の誕生石でパワーストーンでもある。アメジストは、家族の絆を深め守ってくれると共に、お酒の神様バッカスの伝説にも登場して、悪酔いを改善してくれる効果があると伝えられている。石言葉は「誠実・真実の愛」

この指輪は、三男を出産したときに主人の母から贈られた。母は、華道家で粋でお洒落な人だった。出掛ける時はいつもさりげなく指輪やネックレスをつけていた。三男が私の誕生日に生まれた時、「貴女と同じ誕生日だから、あなたたち親子のお守りになってくれるわよ」と言ってくれたのを今でもよく覚えている。

あれから30年近く・・・あの指輪をはいつも私の左の薬指で輝いている。母はつい最近亡くなってしまったが、最期までお私の憧れの女性だったと思う。指輪を見るたびに母を思い出し、感謝している。

指輪をつけるようになって気づいたことが一つ、指輪をつけている時は指が綺麗に見える気がするのだ。ちょうど晴れ着を纏って澄ましているように、魔法のベールでカバーされている気がする。これも指輪のパワーのおかげかな。
襟元が空いていて何となく寂しい時に、ネックレスを一つ付けるだけでパッと首元が洒落て見えるようになるのと同じ感覚。たったこれだけのことで、女は右往左往するのだと思うと、我ながらちょっと滑稽。だがこの感覚がある限り私はまだまだ大丈夫と思える。朝起きてそこら辺のモノを引っ被って過ごすようになってしまったら哀しい限り。
大好きだった作家の故森瑤子さんが著書の中で言っていた。「私はオンナを売りにはしないが、女であることを捨てもしない」
全く同感だ。コロナ禍でも、自分が女であることを大切にして、できる範囲でお洒落にイキイキと生きていきたいと思っている。

入選

忘れられていなかった指輪(朝霧 菜々 様・兵庫県・57歳・女性・教職員)

30年近く前、神戸三宮で会社員として安定したお給料をもらえるようになった私は、何年かぶりで岐阜県の祖母を訪ねてみようと思っていました。

私の祖母は早くに未亡人になり、華奢な身体でも心が強くて働き者で、毎朝5時から廊下に雑巾がけをして畑に行き、育てた野菜を収穫したりと一日中働いていました。

せっかくの機会なので祖母にお土産をとセンター街をぶらぶらしていると、ある宝石店の前を通りかかりました。
その時、祖母の1度も化粧をしたことのない美しい顔と、日に焼けた手を思い出しました。
「そうだ、指輪でも買ってあげよう。」
店内に入り悩んだ末に、私でも手が届きそうな値段のサファイアの指輪を購入しました。
休日になって祖母に会いに行き、指輪を手渡すと、
「こんなにええもん、じいさんもくれたことがなかったに。あぁ菜々ちゃん、嬉しいにぃ!」
いつもは物静かな祖母が、本当に嬉しそうだったので、私も嬉しくなりました。

それから約10年後、祖母が92歳になった頃、母から祖母の痴呆が始まったようだとの連絡が入り、そのほんの数ヶ月後、祖母は老衰で亡くなりました。通夜に駆けつけると、母があのサファイアの指輪を指にはめてお手伝いをしていました。

祖母が亡くなる2ヶ月ほど前、母が見舞いに行くと急に目を輝かせて、私があげた指輪が入った箱を取り出してきて、
「私はもうすぐいなくなるから、誰かにあげようと思って。これは菜々ちゃんがくれた大事な指輪だから本人に返すわけにもいかんしね。おまはんが受け取ってちょ。」
と言って母に譲ったんだそうです。母は
「ボケたと思っとったのに、よほど嬉しかったんやに、よう覚えとったわ。菜々に返そうか?」
私は、いいよ、おばあちゃんが決めたんだからと断って、遺影に向かい、
「そんなに喜んでくれてありがとう、持って行ってくれてもよかったのに。」と手を合わせました。

入選

息子のお土産の宝石(たにぐちみなこ 様・千葉県・81歳・女性・主婦)

当時幼稚園年長組の息子が先生が関係する外部団体の小学生を対象としたキャンプに特別参加させて貰ったことがある。

お小遣いは千円程度と言うことで持たせた。

帰宅後、息子は目を輝かせて、
「お母さんに宝石をお土産に買ってきたよ。ほらね。早く金庫に大事にしまっておいてね」

と言ったのです。

実は少し前に注文した家庭用金庫が届き、好奇心旺盛な息子に聞かれるままに、お金とかの他に大事な宝石などもしまっておくことを説明したばかりだったのです。

息子の買ってきた宝石は色とりどりの多角形のガラスの容器に(もちろん作り物であるが)アコヤ貝に入った真珠を閉じ込めたものでした。

七百円したとのこと。お菓子やアイスもあっただろうに他には何も買わなかったのです。

お釣りの三百円を受け取りながら、
「あれっ、他には何も買わなかったの?」

と聞くと、
「だってお母さんに宝石を見つけて買ったから」

と言うことでした。

六歳の子どもにとって、初めて自分の意思で使える大金。それでお母さんへの宝石を見つけて買って満足した気持ちで自分のお菓子など買うことは考えられなかったのでしょう。
「はやくはやく」

とせかされて金庫に保管しました。

それから四十数年、覚えているだろうか、今度来たときに聞いてみようと思いつつも、つい忘れてしまっている母親です。

今日、この文を書くために金庫から出して眺めてみると、確かにきれいです。六歳の子どもには宝石に思えたでしょう。

お母さんを喜ばせたい気持ちとは程遠い行動をとったこともあるけれど、今でも優しい息子です。

入選

左耳のピアス(増田真奈美 様・東京都・52歳・女性・主婦)

職場のドライバーのSさん。十時半の休憩時間によく会う。たいていSさんは、休憩室で早めの昼食をとっている。

いつもタッパーにたっぷりのサラダを黙々と食していて、その姿を見ると、奥さんが健康に気を使って野菜多めのお弁当を作ってくれているのだなぁと温かい気持ちになる。そういえば今年の初め頃、しばらくSさんの姿を見掛けないことがあった。心臓カテーテルの手術で入院していたことを後から聞き、余計に食事に気を使われているのかもしれない。

ある日、Sさんの左耳がキラキラと輝いていることに気がついた。

ビアス?

男で?

Sさんて確か60代だよね?

イケオジだったの?

片方だけつける?

たくさんの疑問符が私の脳内に出現。もしかしたら見間違えかもしれないと、Sさんとすれ違う時何度となくさり気なく確認してみた。

結果、やはりピアスだった。しかも高価そうな輝きを放っている。
「ピアスですか?」

思いきって聞いてみた。

Sさんは少し考えるような仕草をして「そう」と答えた。そして「奥さんの形見」と続けた。

男性が左耳だけにピアスをする場合、勇気と誇りを持ってあなたを守りますという意味だと、この時私は初めて知った。奥さんの誕生石のダイヤモンドは、Sさんの耳でキラキラと輝いている。

毎日自分で野菜たっぷりのお弁当を作っているSさんを、右耳にお揃いのダイヤモンドのピアスをつけた奥さんは天国から優しく見守っているのでしょう。

入選

鮮やかな想い出(せん 様・福井県・48歳・女性・会社員)

私がそれに出会ったのは20歳の時だった。友達と何気なくめくっていた雑誌に載っていた、金髪のモデルさんが付けていたネックレス。
鮮やかなネオン色の石に一瞬で引き込まれ、その胸元から目を離せなくなった。
当時は猫も杓子も、のブランドブームで、価値の判断基準がそれしかなかった私に取って、それ以外の物欲が出ることは珍しかった。アルバイトで貯めたお金は、次のセールで新しい靴に化ける予定だった。
ジュエリーにまで注ぎ込む予算はない。ないのだけれど、そんなに大きい石でも貴石でもなさそうだし、聞くだけはタダだし、と、1週間迷いに迷って雑誌の問い合わせ先に連絡してみた。コスメの広告ページであったにも関わらず、電話に出た担当の方は快く教えてくれた。
どこまでも続く澄んだ海の様な色。見つめるだけで、リゾートにいるような気になる、その宝石の名前はー
『パライバトルマリン』
聞き慣れないその名前のジュエリーは、トルマリンであればさほど高くないだろうと安心した私の心を容易く打ち砕いた。希少な宝石で貴石であり、良質なものはブランドバッグよりはるかに高かった。
そして、私が引き込まれた蛍光色の発色が鮮やかであればあるほど価値が高いとの事。
どんなに欲しくても小娘が買える物ではなかったのだ。
ブランドと違い、宝石はその価値、中身は自分で見極めなければ良いものは掴めない。いい物を専門店でアドバイスを受けながら適正に買うのは20歳そこそこの女子大生にはとてもハードルが高かった。文字通り泣く泣くあきらめたのである。
それから四半世紀。リゾート地のパンフレットを見ながら、その青さを思い出す。プラチナの枠に囲まれて、鮮やかに発色しているそれを、自分で買ってもよし、主人に買ってもらってもよし、だ。
かつて手に入らなかったものが、手に入れられるようになる。年を取るってそう悪いことじゃない、と思うのである。

入選

赤毛のアンに憧れて(清水ゆき子 様・富山県・48歳・女性・主婦)

自分の稼ぎで買った初めてのアクセサリーは、パールのネックレスだった。 23才の娘としては、ちょいと渋いチョイスかもしれない。だが、私は少女の頃から、真珠に憧れを抱いていた。
小学生時代、私は若草物語や、足長おじさんなどの少女小説をよく読むロマンチックな女児だった。なかでも、「赤毛のアン」が好きで、想像力さえあれば幸せになれると、ロマンを通り越し、勘違いの衝突事故を起こしていた。
アンの物語には、宝石の描写がしばしば登場する。中でも有名なのは、「紫水晶のブローチ」だろう。紫水晶は、養親のマリラとアンがうち融けるきっかけになった、重要なキーアイテムだ。
だが、それより、折に触れ、アンにそっと寄り添う真珠の存在に私は心惹かれた。それは、アンを実の娘のように大事に思うマシュウおじさんからの贈り物の真珠のネックレスだったり、彼女を心より愛するギルバードからの「真珠がぐるりと散りばめられた」結婚指輪だった。憧れのヒロイン、アンに傾倒するあまり、私は、「いつか、真珠の指輪かネックレスが欲しいなあ」という思いを、心のど真ん中にある欲望ファイルにしまいこんだ。そして、大人になって、自分で自由に使っていい金銭を手にしたとき、パールネックレスを手に入れたというわけだ。
もちろん、その頃には、空想は、あくまでも生活の娯楽の一つであること、そして、想像力があればそれで幸せになれるとは限らないという現実は弁えていた。
だが、このネックレスをつけると、未だに、「アンのようなステキな女性になりたい」という思いはよみがえる。とりあえず、アンは「柳のようなスラリとした肢体」だから、ダイエットしなきゃ、と己を鼓舞するきっかけになる。そして、アンのように人生を 常に肯定していきたいと、ちょっぴり前向きな気持ちも思い出すのだ。