宝石エッセイ入選作品 2021年1月末締切り分

★★★ 2021年1月末締切り分 ★★★
宝石エッセイ募集の入選作品を発表します。

この度もたくさんのご応募、誠にありがとうございました。
とうとう早いもので、今回で10回目の募集となりました。いつも貴重なエピソードをたくさんご応募いただき、誠にありがとうございます。
この度も全てのエピソードに対して興味深く、それぞれの情景を思い浮かべながら、時に切なく、時に楽しく、様々に拝読いたしました。

お寄せいただくエピソード時に良い思い出で、時に切ない思い出で、時に宝石(時にジュエリー)に対するご寄稿者の考え方だったり、いつも新しい発見をしながら拝読しております。その中で敢えて最優秀賞、優秀賞、入選を選ばせていただくことは本当に心苦しく、毎回悩むところでございます。

そうした中、この度も選出させていただきました作品をここに発表させていただきます。

◆総評

最優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「形見の指輪」は、読み進めるにつれてこちらもグ~ッと幼少期のころに引き戻されるような、とても引力を感じられる文章でした。なんだか自分もこんな純粋な頃があったような、思わずギュッと抱きしめたくなるような気持になりました。なんといっても、子供のころのご寄稿者様の幼少期の気持ちに入っていくときに、だんだんと「ひらがな」での表記になっていっているところが秀逸だと思います。こちらが意識しなくとも、一瞬でグ~ッとこちらも子供時代へ引き戻されました。お母様が今もご健在で、何よりです!これからも仲良く、そしてせっかくだったらお揃いで紫水晶のジュエリーを楽しんで欲しいな、と感じたエピソードでした。

優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「金の精」は、800文字というとても短い中で、お母様のお人柄とご家族の絆の強さ、ご寄稿者様のご両親への強い想いを感じられるエピソードでした。お母様の真珠の指輪は、手放さないで欲しいな、と思います。現状は良くも悪くも刻々と変わっていきますが、お母様との思い出の真珠の指輪はその一つしかありません。その指輪を通じて、いつまでも乗り越えてきた辛いことやお母様、お父様との思い出を忘れず、笑顔で毎日を過ごしていっていただきたいな、と思いました。いつかもし叶ったら、その真珠の指輪に合うジュエリーを探しに、当店にも足を運んでくださいね。

今回は、上記の他に入選作品を10作品選ばせていただきました。
この度も、ご応募いただいた作品全てがそれぞれに心を動かされるエピソードばかりで、この度も選出関係者一同、大いに悩みました。
ご応募いただいた作品を拝読しておりますと、改めて「宝石やジュエリーって、特別なものではない」と感じさせられます。それは「大したものではない」ということではなく、かなり私たちの生活の深いところで、当たり前に存在しているものだということです。幼いころに初めて目にして、心を動かされるものはたくさんあると思います。その数ある「驚き」の中に、「大人の持っている宝石との出会い」というものがかなり初期の頃にあるのだなと、感じました。その後、その縁を繋ぐ人とそうでない人に分かれるとは思いますが、皆様それぞれに「心の中に刻まれた宝石(ジュエリー)」が存在するのだと、とても嬉しい気持ちになりました。
この度も数多くのご応募、本当にありがとうございました。
選出できなかった方々のエピソードも、それぞれ優劣付けがたく、その中で上記の賞を設けましたこと、どうかご容赦ください。

当店では今後もこうした募集をおこなっていきたいと考えております。
次回募集の詳細は下記のページに掲載させて頂きます。

https://www.favorite-stone.jp/compe/

今後も皆様の宝石やジュエリーに対する想いや思い出に触れられますことを、楽しみにしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

      

フェイバリットストーン 店長 内山美緒

入選作品

最優秀賞

形見の指輪(さとみ 様・愛知県・40歳・女性・公務員)

宝石、の最初の記憶は、実家の和室でのものだ。
4歳か5歳ごろのことだと思う。親戚の結婚式に行く母が、装飾品のしまってある引き戸を開けていたのを見た私は、興味津々で近づき、尋ねた。
「なにしてるの?」
「結婚式につけていく首飾りを探しているんだよ。・・・そうだ。いいもの見せてあげる。」
思いついたように言った母は、引き戸の中から何か取り出した。
「たからもの。ほら。」
その手には小さな箱が握られていて、蓋がパカっと開くと、中からキラキラした石のついた指輪が顔を出した。
「紫水晶っていうのよ。お父さんからもらったの。綺麗でしょう?」
「うわぁあ。きれい!私もほしい!!」
初めて見る宝石にうっとりしていた私に、母はその直後、衝撃の言葉を放ったのだ。
「そうね。これはいつか形見にあげるね。」
「かたみ、ってなに?」  
「お母さんが死んじゃったら、お母さんの思い出になるようにあげるね、ってこと」
「・・・・!!?」
ショックだった。ショックでしかなかった。
お母さんが死んじゃったら!??
なんという悲しい響きだろう。
指輪云々、よりも、母が死ぬという言葉が衝撃的すぎて、気が付いたら、私の目から大量の涙があふれていた。お母さんが死んじゃったら!!!
私はきっと、ひとりぼっちになる(本当はお父さんもお兄ちゃんもおばあちゃんもいるけど)。ほいくえんも、いけなくなる(きっとお父さんが連れていくけど)。ごはんもたべられなくなって・・・
「お母さんのいない悲しい生活」に思いを広げまくった私は、「たからもの、いらない!!」といいながらその後ひたすら泣き続け、一家総出で慰められたのだった。
ちなみに、その紫水晶の指輪は今も同じ引き戸にしまわれており、母はまだぴんぴんして、あちこちが痛いと言いながらも毎日を楽しんでいる。私はまだ、紫水晶の指輪は持っていないし、まだまだずっともらえなくていいな、と思う。

優秀賞

金の精(雪乃 一恵 様・神奈川県・55歳・女性・会社員)

バレエ『眠れる森の美女』」に、通称「宝石」と呼ばれるパートがある。結婚式を迎えたオーロラ姫と王子に、宝石の精たちが祝福のダンスを踊るという、きらびやかな見せ場だ。

五年前、バレエ教室の発表会で、私は宝石の「金の精」を踊ることになった。当時五十歳。チュチュを着るのも、腹部の肉を押し込むのに一苦労だ。

仕事の傍らレッスンを積み、振付けを覚え、ダイエットにまあまあ励んだ。母の介護との両立には頭を悩ませたが、ショートステイを多用してどうにか切り抜けた。

その母が発表会を観にいくといってきかない。長い闘病で脳症を繰り返し、私が「金の精」を踊ることを何度話しても忘れてしまうのに、母は私に会場までのタクシーを予約させ、当日の服を自ら選びヘアサロンまで行った。準備万端、自分が出演しそうな勢いだ。

父が苦笑いして、随行を引き受けてくれた。

発表会の一週間前、母は突然危篤に陥った。

母が用意していた服一式が、長押に掛かっている。手に取ると、ポケットから真珠の付いた金の指輪が転がり出た。母は私が金の精を踊ることを、ちゃんと分かっていたのだ。

間に合わなかったね、ママ。残念だね。

発表会では、出演者は自分のアクセサリーを付けてはいけない決まりになっている。けれど私はこっそり母の指輪をはめた。金の指輪はシンプルだが、真珠の美しさと合わさって私の指で華やかさを発揮した。すっかり痩せて、チュチュもすんなり着られる。

指輪を付けて私は「金の精」を踊り、翌日母は静かに息を引き取った。

あれから五年。昨今、金はわりといい。そして私はコロナ禍のあおりで失業中だ。

母の遺品整理で、金のネックレス類は売ってしまった。真珠の金の指輪も、買取店まで持っていったが、すんでのところで翻意した。

やっぱりこれはダメ。早く仕事を見つけて、指輪とお揃いの金のピアスを買いにいこう。

入選

2度目の門出(なおみ 様・山梨県・53歳・女性・主婦)

息子が社会人になり家を出て、夫婦二人の生活が始まった。
私の心にはぽっかりと穴が開いた。単に「寂しい」とは少し違う。学費の支払いもなくなり親としての経済的な責任を果たし終えて安心したせいもあるのか、言葉ではうまく表せないが虚ろな気持ちだ。
最近は少しでも気持ちが明るくなるように服は明るい色を選ぶ。アクセサリーも何か一つはつけて気分を上げる。
今日はネックレスにしよう。アクセサリーボックスを開けた。
婚約指輪がクッションから外れている。
普段はつけることもないのにどうしたんだろう。
久しぶりに見るダイヤモンドはとても大きく思えた。当時は若くてお金もなかったはずだが奮発してくれたのだろう。今更ながら夫への感謝の気持ちがわき、久々に薬指にはめてみた。
指輪をつけた左手を動かしてみる。そのたびにダイヤモンドが煌めきを放つ。きれい。
キラキラキラキラ・・。
爽やかな秋晴れ。
ウェディングドレスの私。前の日はよく眠れなかったけどメイクさんがくすんだ肌を上手に隠してくれた。さすがプロだわ。
横で夫は少し緊張しているみたい。深呼吸、深呼吸。大きく息を吸って、吐いて。
お父さんは泣かないって言ってたけど大丈夫かな。ポケットチーフが飛び出してる。誰か直してあげて。
お母さんがお酒を注いで回ってる。方言丸出しはやめてね。恥ずかしいわ。
おばあちゃん、出席してくれてありがとう。いつまでも元気でいてね。
学生時代の友達。みんなありがとう。結婚しても遊ぼうね。
伯父さん、乾杯の音頭よろしくね。
はっと我に返った。
今のは28年前の私の結婚式だ。婚約指輪がタイムマシンになって一瞬だけ28年前に戻してくれたのか。「しっかりして。門出じゃないの」と私に伝えるために。
確かに息子の独立は私たち夫婦の2度目の門出だ。また二人で新たな毎日を紡いでいけばいい。
夫と二人、これからも人生をいっしょに歩いていこう。

入選

私の真珠(リエベス 様・神奈川県・56歳・女性・会社員)

昔から私は色気のない女だった。子どもの頃は、お転婆で生傷が絶えなかったし、学生時代はスキーに明け暮れて、一年中真っ黒に日焼けしていた。素顔がいいね、なんていう言葉を真に受けて、就職してからもほとんど化粧もせず、お風呂上りには化粧水くらいつけなさいと友人に呆れられる始末。だから装飾品、いわゆるアクセサリーなど当然持ってないし、興味もない。そんな調子だから、娘を育てている時は戸惑うことが多かった。うちの娘はフリルの付いたスカートがはきたい!という女子だったからだ。彼女はいつも身だしなみに気を遣い、大学生になると化粧品まで私に貸してくれた。とにかく若いうちからお肌のお手入れに余念がなく、「小悪魔になる本」を愛読していた。私の母はそんな娘がお気に入りで、女の子を育てる楽しみがやっとわかったと、よく私を皮肉った。
だから娘が関西に嫁ぐ時、母は自分の持っている宝石を全て娘に持たせた。私は宝石が欲しいわけじゃなかったけれど、何故だかその時少し寂しかった。母から受け継ぐものがないって、せめて一つくらい身につけるものをくれても…そんな私の気持ちを察したのか、暫く経ったある日、「これをあなたに」と母が汚い箱をくれた。見覚えがあった。それは真珠の首飾りとイヤリングが入った箱だった。私が結婚する時、母がこれを貸してくれたのだ。もうこれからの人生、私が身に着ける機会もないだろうけど、私はこれを持っていたかった。嬉しくて、思わず涙がこぼれそうになった。ありがとうと言おうとした私に、母が一言言った。「あなたが出戻って来たから、これは縁起が悪くて渡せなかった」私は大声で笑った。可笑しくて、涙を流しながら笑った。母もお腹を抱えて笑っている。ごめんね、お母さん。これからも、お母さんと真珠、大切にしていくからね。その日から私の押し入れには、柄にもない真珠が大切に保管されている。

入選

母のポックリ箱(めぐ 様・千葉県・50歳・女性・パート・アルバイト)

ドレッサーの引出しに、亡き母から譲り受けた宝石箱がある。そこにはダイヤをはじめ、今の私の暮らしとは縁遠い品が並んでいる。

母はシンプルな装いを好んだ。紺やグレーを選び、柄物もほとんど着なかった。ただ、そこに一つ、大振りのパールのブローチやカメオをネックレスにして着けたりして、コーディネートのアクセントとして宝飾品を楽しんでいた。昭和一桁生まれにしては165cmの長身で、背筋を伸ばして颯爽と歩く姿は娘から見ても格好良かった。生活も派手ではなかったが、父の昇進や兄達の就職などの家族の節目の時、記念に一つ宝石を買った。それは一つずつ増え、宝石箱は母の人生のアルバムのようだった。実際それらの宝石を身に付けるのはお祝いの場くらいしかなかったが、時々宝石箱を開けては懐かしそうな顔をしていた。

ある日、母はその宝石箱を私に見せながら、『これね、ポックリ箱。私がポックリ死んだら、あなたがそっくり持っていってね』と笑った。年を取り病院通いが増えると、『あれもポックリ箱に入れといたからね』と、普段使いの指輪までしまいこんだ。縁起でもないとたしなめると、母は一瞬真顔になって『あなたに持っていて欲しいの』と言った。

入院先のベッドで、母は薬の副作用で熱に苦しんだ。冷凍庫でタオルを何枚も凍らせ、額に乗せる直前に病室の洗面所で溶かしていると、『タオルぬるめてくれるの、あなただけだわ、ありがとうね』と私の背中につぶやいた。ベッドから起き上がれなくなる中、『ポックリ箱、入院前に家の洗面台の下に隠しといたから』と言われた時は、そこじゃ宝石達も泣いてるねぇと二人で笑った。切なくて大声で笑った。母が亡くなり、本当に洗面台の下で見つけた時には、泣けて泣けて仕方がなかった。

気持ちが落ち込んだ時、私はそっと宝石箱を開ける。濁りのない宝石の光の中から、『大丈夫、何とかなるよ』そんな母の声が聞こえる気がして。

入選

繋がったネックレス(ロミノチック 様・山梨県・61歳・女性・主婦)

「したいと思ったことは、何でもやってみ。やらんことには始まらん」この言葉で、いつも私を応援してくれた母。県外の4年制大学進学も、県外の人との結婚も「思った通りにやったらいい」と言って、引き留める言葉を何一つ言わなかった。
40年前は、今よりずっと保守的で、親の反対で進路や人生を変える友達は、少なくなかった。
帰るたびに「大丈夫か?」と言って、お小遣いをくれた母は、晩年、穏やかな日々を過ごし、4年前に亡くなった。
49日の法事を済ませ、兄弟3人で母のタンスを開けた。
「形見分けというより、片付けやね」
そう言いながら、洋服や着物を出して、仕分けをした。最後に、小物を整理した。小さい引き出しに、古臭い紺色のケースがあった。開けてみると、樟脳のような昔の匂いがした。そして、中には、ばらばらのパールの粒が入っていた。
「糸が切れて、そのままにしといたんかな。もういいよね?」
姉が、処分しようという風に言った。
「形見にもらっていく。いい?」
私は、すぐにそう言った。末っ子の私が、実家を遠く離れ、母はさぞや心配だったと思う。今更だが、何か母を感じるものを、傍に置きたいと思ったのだ。
持ち帰ったパールは、すぐにお店に持って行った。
「母の形見なんです。元に戻したいんです」
心配になって聞いた。お店の人は、ばらばらのパールを見て、
「頑張りますよ。お母様の思い出の品ですもの」
そう言った。お蔭様で、糸を替え、クリーニングを終え、繋がったネックレスは、見違えるようになった。
帰宅して、あの紺色のケースを開けた。やっぱり昔の匂いがした。その中に、ネックレスをそうっと入れて、ベッドのすぐ傍の棚の上に置いた。
それ以来、母の法事には勿論、出席したかっだろう母の孫の結婚式にも、あのネックレスをつけて出席した。
パカッと蓋を開ければ、昔の匂いと一緒に母のパールのネックレスが、いつもそこにある。今も、母に見守られているような気がしている。

入選

指輪こわい(かおり 様・山口県・32歳・女性・会社員)

小さいころの私、指輪をはめることが怖かった。自分の指にはめるなんてとんでもない。指輪自体は怖くないけど、眺めてるだけでいい。だって、外せなくなったら困るもの。

そんな不安を子供に植え付けたのはきっと、同居していた祖母だ。祖母はいつも大きなルビーのついた金の指輪をつけていた。「おばあちゃん、ずっと指輪つけてるの?」「そうよ、ずーっとつけてたから、もう外せなくなっちゃった。」ふくよかな祖母はあっけらかんと笑ったが、幼い私は衝撃を受けた。指輪って、外せなくなるんだ!

私は想像してみる。指輪が第二関節を通過するときの感覚。ちょっとひっかかって、すっと通る。一旦そこを通したら、二度と戻せないかもしれない、ぎりぎりのポイント。私は冷や汗がでる。おばあちゃんみたいに指輪が外せなくなったらどうしよう。

私の動揺など知らず、祖母は教えてくれた。「おばあちゃんのお父さんがくれたのよ。」ルビーの指輪は曽祖父から祖母への贈り物だったのだ。ずっと付けているほど大切にしているうちに、太って抜けなくなったらしい。死んだ曽祖父のことを思いだしたのか祖母は涙をぬぐった。おばあちゃんにもお父さんがいたんだな。

大人になった私は、就職して家を出て、結婚もした。もう指輪がこわいなんて子供じみたことは言わない。私の手には夫がくれた指輪がある。

でも久しぶりに会った祖母の手には、あれほど大事にしていたルビーの指輪が見当たらない。すっかりぼけていたし、ある日突然、自分の手をみて「あらこれなんの指輪かしら」なんて思いながら外したのかもしれない。ふっくらした昔の面影はなく、すっかりやせてしまった祖母。指は細くなって造作なく外れたはず。

色んなことを忘れてしまった祖母に教えてあげたい。「これはルビーの指輪。おばあちゃんのお父さんからもらったんだよ。おばあちゃんは、その人のことをとても慕っていたんだよ。」

入選

K18(エメラルド 様・茨城県・28歳・女性・主婦)

ショーケースに並ぶたくさんの宝石。ガーネットの深紅色が目に入ると、私の胸がちくん、とする。そして、一本の指輪を思い出す。

装飾品に無頓着な母が、中学生のころ指輪をくれた。小さいガーネットの嵌め込まれた、華奢なゴールドの指輪。ほとんど中身の入っていない宝石箱から大事そうに取り出されたそれは、中学生だった私にはおしゃれになんて見えなかったけれど、私はありがとうと言って受け取った。

仕舞い込まれていた指輪を手に取ったのはそれから数年後、母との関係のもつれから家を出て一人暮らしを始めた時だった。無計画に家を出た私は、もちろん金欠。そこで私は家にあった貴金属を売りに出すことにした。
その時、この指輪をどうするかとても悩んだ。お金はない。でも、唯一母が持っていた指輪。いやいや、母はまだまだ元気じゃないか。形見でもあるまいに。20才の私は浅はかで、母の気持ちなんて考えられなかった。

そのまた数年後、母との関係性も修復されたころ、ふと母が「昔あげた指輪着けてる?」と聞いてきたことがあった。とっさに、うん、と答えたけれど、母は何かを感じたのかそれ以上何も言わなかった。心の中で何度も謝った。でももうあの指輪は戻らない。

あの指輪は、私が生まれた時に買ったものだったらしい。女手一つで私を育てていた母は、どんな気持ちで私にあの指輪をくれたのだろう。娘が生まれ、母になった今、宝石屋さんの前で考えている。
孫を抱き上げる、あかぎれと皺のある大きな手。今年の50回目の母の誕生日に、その手にピッタリの指輪を贈ろう。ガーネットと、私の誕生石のエメラルド。そうだ、娘の誕生石も入れよう。3つ並んで輝く石が、母の指で輝くところを想像して、私は言う。
「すみません、指輪のオーダーを」

 

入選

月の宝石(高鳥 珠代 様・神奈川県・57歳・女性・会社員)

私の宝石箱の隅っこに白い小さな宝石が入っている。それはその宝石を手にしたときのまま、紙に包まれている。

三十年も前の20代の後半、これからは英会話も出来なきゃと英会話教室に通った。そこで知り合った友人の友人にスリランカ人がいた。彼女の薦めで、スリランカ旅行に出掛けることになった。当時スリランカ旅行は珍しくツアーなどなかったので、彼女にアレンジしてもらった。シンハラ語で「こんにちは、初めまして、さようなら」は「アユボワン」、「ありがとう」は「ストゥティー」、二つの単語だけを覚えて出発した。

当時のスリランカはまだ政情が不安定で国の中央部から北にかけては危険だったが、その地域以外は安全ということだったので、貸し切りタクシーを利用して南半分を回った。道を牛が横切ると一時間でも通り過ぎるのを待つようなのんびりとした旅だった。通る村々での人々の明るさと親切に、日本の原風景に触れたような懐かしい想いに浸っていた。

旅の終わりに、タクシーの運転手が自分の家に招いてくれた。コロンボ郊外にある小さな家だった。小さな家から奥さんと何人もの子どもたちとおばあさんが出てきた。一緒に食事をしておしゃべりをして最後の夜を過ごした。全員が片言の英語だったがなんとなく意思は伝わっていた。私は祖母に面影が似ているおばあさんと特に仲良くなった。帰り際、彼女が私に「私の娘にプレゼント」と言って、私の手に紙に包まれたものを乗せた。包みの中を見ると白い小さな宝石だった。異国の地の思わぬ触れ合いが心から嬉しかった。「ストゥティー」とおばあさんを抱き締めてお礼を言った。

その日から私の宝箱の隅にその宝石はある。それは私の宝石箱の中で一番の輝きを放っている。なぜなら昔スリランカで、おそらくいまは亡いであろうあのおばあさんと私が間違いなく触れ合ったという事実を、この宝石は知っているからである。

入選

赤い石のお守り(ネロ 様・茨城県・27歳・女性・無職)

私はひそかに母の誕生日に贈るジュエリーを探していた。還暦ということで、赤い石が良いだろう。だが、ルビーは予算的に厳しい。そこで、私はガーネットに目を付けた。ルビーに比べてお手頃で、深い赤色も美しい。さっそく調べると、ガーネットは古くから魔除けのお守りとして使われていると書かれていた。かつて十字軍に参加した兵士は身を守る護符として身に着けたらしい。綺麗なだけでなく、そんな意味もあったのか。私は生まれた年も場所も違う兵士の胸に輝くガーネットを想像した。実際どのように身に着けていたのかは知らないけれど。

とにかく私は美しい宝石が魔除けになるということに驚いた。あまりに驚いたのでつい母に、「ガーネットって魔除けの石なんだってよ」と言ってしまった。プレゼントは内緒だったのに。だが母は私が自分用のジュエリーを探していると思ったようだ。

母は私の話を「へー」と感心した様子で聞き、「それならぜひ欲しいね」と笑って言った。親の介護や自分の体調など、年々気にかかることが多くなってきた母は、石の持つパワーに興味があるようだ。本人が欲しいと言っているのだから、プレゼントはこれで間違いないと確信した。

購入したのはガーネットの指輪。高価なものではない。それでもいろいろ見比べて、やっと選んだものだ。渡すと、母は最初に一言「あっ、厄除けの石だ」と。どうやら母の中で「魔除け」が「厄除け」に変換されていたらしい。「魔」より、厄年、厄払いなどで聞く「厄」のほうが聞き馴染みがあっただからだろうか。だが厄除けというと神社の祈祷を想起させられ、急に身近になったなと私は笑ってしまった。はるか遠くで戦っていた兵士もびっくりだろう。「厄除けじゃなくて魔除けだよ」と教えると、母も笑っていた。

私としては魔除けでも厄除けでもどちらでも良いから、母がこれから穏やかに暮らせるようにガーネットには見守ってもらいたい。

入選

輝きが伝えるもの(きょうこ 様・東京都・43歳・女性・会社員)

母の引き出しには、祖母から受け継いだ様々な宝石のジュエリーが無造作に入っていた。
「おばあちゃんは宝石が好きだったけど、私は興味がないのよね。」と言う母だったが、私は子供の頃、その輝きを眺めるのが好きだった。

2011年 3月11日 東日本大震災
そんな母が住む福島の実家と連絡が取れたのは、地震発生から数時間後だった。
外塀が崩れ、車も潰れたが、家族は全員無事だった。
数ヶ月後、私が実家に帰った時には、外塀はすっかり新しく建て替えられていた。
母は言った。
「新しい塀もだけど、壊れた塀を片付けるのもお金がかかってね。おばあちゃんの宝石を売ったのよ。」
私は仕方ないと思いつつも、寂しさで一杯になった。
そして、母は胸に手を当ててこう言った。
「おばあちゃんが、亡くなっても私を助けてくれた。」と。
それを聞いて、気持ちが晴れた。
母にとって興味のなかった祖母の宝石は、最後に大きな役目を果たして母の元を去ったのだ。
暗い引き出しの中でもずっと輝きを失うことなく、最後に祖母の愛を母に伝えたのだと。

その後、私は売られずに残ったダイヤの指輪を譲り受けた。
祖父が祖母に贈ったものだ。
ネックレスにしたいと思い、リメイクのため宝石店を訪ねた。
クリーニングできればと、学生の頃譲り受けた真珠の指輪も持って行った。
店では、店主らしき白髪まじりの男性が対応してくれた。
驚いたのは、彼が私の持参した2つの指輪を見て、その歴史を見てきたかのように話してくれたことだ。
どの時代のどんなメーカーのものか、戦後もなお祖母の手元に残っていたことが、どれだけ珍しいことか。というような話だ。
私は改めて、宝石とそのジュエリーが伝えるものの価値に気付かされた。

レトロなデザインの指輪は、シンプルなダイヤのネックレスに生まれ変わった。
祖父、祖母、母の愛情とその歴史が、今日も私の胸元で輝いている。

 

入選

知らなかった思い(kao 様・宮城県・46歳・女性・会社員)

実家は地方で兼業農家をしている。父は自営業で塗装業、母は近所の縫製会社で両親とも70歳を過ぎる今も現役で働いている。祖父母が健在だったころよりは規模を小さくしたとはいえ、今も農業を行っている。そんな両親が指輪をはめているところを一度も見たことはなかった。結婚指輪も。私が小さい時、女の子だったら誰でも経験があると思うがコッソリと母の鏡台の引き出しを開け、化粧品やアクセサリーを手に取ってみることが好きだった。おしろいの香りが好きだった。小さなアクセサリーケースがきっちりと引き出しに収められていた。そんなアクセサリーをつけるのは入学式や卒業式など子供の行事の時や、冠婚葬祭の際につける程度だった。しかし、なぜか指輪だけははめることがなかった。両親とも農作業をすることもあって節くれだってはっきり言って不格好だ。父は常に手にペンキがついていたし、母は手荒れで絆創膏をどこかしらの指に必ず貼っていた。確かに、指輪をはめる生活ではない。

そんな母が、祖母の葬式の際、見たことのない古いデザインの翡翠の指輪をはめていた。深い翠色の指輪。「葬式に?」とも思ったので火葬の際、祖母の扉の前で祖母が喉が渇かないように水を替えているときに聞いてみた。そうしたら、「ばあちゃんから死に際にもらったからせっかくだからつけてみたんだけど、デザイン古いしサイズが大きい」と。笑っていた。うちは典型的な意地悪姑と耐える嫁の関係だった。まぁ、孫の私が言うのもどうかと思うが母への態度はキツイものだったので、祖母が入院した際によく甲斐甲斐しく世話ができるもだと感心したほどだった。その祖母が、死に際に母に翡翠の指輪をくれたらしい。最後まで「ありがとう」の一言もなかった祖母だが、葬式の際に近所の人が祖母が母の自慢をよくしていたと教えてくれたらしい。母はその指輪のサイズ直し、大切に鏡台の引き出しの中にある。