宝石エッセイ入選作品 2020年10月末締切り分

★★★ 2020年10月末締切り分 ★★★
宝石エッセイ募集の入選作品を発表します。

この度もたくさんのご応募、誠にありがとうございました。
今回で9回目の募集となりました。いつも貴重なエピソードをたくさんご応募いただき、誠にありがとうございます。

全てのエピソードそれぞれに深く引き込まれつつ、心を動かされながら、関係者一同、興味深く拝読いたしました。
当然のことながら、お寄せいただくエピソードそれぞれに優劣などあるはずがなく、しかしその中で敢えて最優秀賞、優秀賞、入選を選ばせていただくことは本当に心苦しく、毎回悩むところでございます。

そうした中、この度も選出させていただきました作品をここに発表させていただきます。

◆総評

最優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「“25年後に結婚指輪が教えてくれた事”」は、女性の本心をとても素直に書き記していただけたような、「そうそう!本心ではそうなの!」ととても共感する作品でした。婚約指輪や結婚指輪は、必要不可欠かと言われればそうでもないですよね。「別に無くてもいいよね?」と言われたら、「まあね・・・」となかなか強く言えないもの。でもやはり、お互いにとって一生に一度!それぞれに価値観は違えど、最終的には納得するところに落ち着いて、「ああ、良かったな」と心かホッコリといたしました。女性にとっての「一粒のダイヤモンド」は、大きさに関わらず特別なものですよね。銀婚式には、どのようなジュエリーを選ばれるのだろうと、こちらもワクワクしてしまうようなエピソードでございました。

優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「真夜中のプリンセス」は、宝石が身を飾るだけにとどまらない存在であるのだと改めてヒシヒシと感じられる作品でした。旦那様の感謝が一つのダイヤモンドネックレスに姿を変え、それを身に着けたことで奥様の努力の結晶が内面から外にほとばしって輝きだし、そのお母様の美しさを見て息子様が幸せな気持ちになる・・・最高のループであると、心の底から感じました。
宝石やジュエリーは、贈る人にとっても身に着ける人にとっても、そしてそれを目にする人たちにとっても幸せにしてくれる存在であって欲しい・・・そう強く思えるエピソードでございました。

今回は、上記の他に入選作品を10作品選ばせていただきました。
いつもと同様、ご応募いただいた作品全てがそれぞれに心を動かされるエピソードばかりで、この度も選出関係者一同、大いに悩みました。
ご応募いただいた作品を拝読しておりますと、ジュエリーや宝石を通じた人と人との繋がりを強く感じます。まるでタイムカプセルのように、“宝石”という器を借りて想いが時代を経て受け継がれていく・・・特にこのコロナ禍にあり、直接の触れ合いや出逢いが限られている昨今だからこその、その『絆』の強さ、尊さに胸が熱くなりました。
この度も数多くのご応募、本当にありがとうございました。
選出できなかった方々のエピソードも、それぞれ優劣付けがたく、その中で上記の賞を設けましたこと、どうかご容赦ください。

当店では今後もこうした募集をおこなってゆきたいと考えております。
次回募集の詳細は下記のページに掲載させて頂きます。

https://www.favorite-stone.jp/compe/

今後も皆様の宝石やジュエリーに対する想いや思い出に触れられますことを、楽しみにしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

      

フェイバリットストーン 店長 内山美緒

入選作品

最優秀賞

25年後に結婚指輪が教えてくれた事(ルリコ 様・北海道・53歳・女性・パート・アルバイト)

「婚約指輪は最近要らないって言う若い人増えたみたいね。」
後の姑が何気に言った言葉に一瞬考えた。私は普段からアクセサリーはほぼ身に着けないし、宝石を買うお金があるなら旅行に行きたいと思う。が、そうは言っても婚約指輪だ。一生に一回だ。私の事だから箪笥に仕舞いっぱなしとか無くしてしまうとか十分ありえるがそうであったとしても婚約指輪って必須じゃないのか?姑に言われた流れもあり結局購入には至らなかった。しかし結婚指輪は別だ。結婚式で指輪交換があるからだ。普段立ち寄る事のない宝石店は入るだけで緊張だ。何からどう選べばいいのか迷っていると担当の女性が何気に言った。
「婚約指輪はどのようなデザインをお選びになりましたか?」すかさず「あまり身に着けないので要らないかなって」心とは裏腹の返答をした。すると女性がそれであればと勧めてくれたのが小さな一粒ダイヤが埋め込まれている指輪だった。「ダイヤが埋め込まれているので結婚式等華やかな場面にも合いますし石がそこまで大きくないので毎日の生活の中で邪魔になりませんよ。」なんだかとっても嬉しかった。一粒のダイヤはお店の照明に照らされキラキラと輝いていた。あの時のアドバイス通り子育てやパート勤め中も冠婚葬祭もこの指輪といつも一緒だった。深く考えた事は無かったが最近新たな発見があった。若い時は気づけなかったがこの小さな一粒のダイヤは50代のくすんだ手を輝かせてくれる。年齢を押し上げ気持ちまで上げてくれる。宝石の力はすごい。今更だがあの時の担当の方に会って心からお礼を伝えたい。「本当に有難うございました。」

さて今年は銀婚式だ。このご時世で予定していた記念旅行も中止になった。夫が珍しくつぶやいた。「折角だから節目に何か購入しようか?」25年前は婚約指輪を欲しいと言えなかったが今回は迷わず夫に伝えよう。「指輪を見に行きたいな・・」

優秀賞

真夜中のプリンセス(しおり 様・千葉県・34歳・女性・主婦)

自分でいうのもなんだけれど、独身時代は割とオシャレだった。
流行のファッション、月に一度の美容院にネイルサロン。

ところがいまはどうだろう。
31歳で長男を出産した当時、毎日そんなことを思っていた。

産後の日々はボロボロだった。
抱っこ、オムツ替え、沐浴、3時間おきの授乳……。
慣れないタスクと寝不足で体は常に限界だった。

でも、なんといっても一番つらかったのは、身だしなみを整える時間すら満足にとれなかったことだ。
ていねいにスキンケアをしたり、ゆっくり髪にドライヤーをあてたり、きちんと爪を整えたり、なんて夢のまた夢。
鏡の中にいるのは、がくんと年をとったような自分。
子育てって、本当にしんどい。私に母親なんて務まらない!
そんな風に叫びたい日もあった。

それでもなんとか、必死で育てた。
息子が3歳になったあるとき、夫が一粒ダイヤのネックレスをプレゼントしてくれた。
「いつも子育てお疲れさま。仕事が忙しくて、苦労かけてばかりでごめん」
私を驚かせようと、こっそり近所のショッピングモールで買ってきたという。
これまでの苦労がいっぺんに吹き飛ぶように感じた私は、もしかして結構ゲンキンなのかもしれない。

それ以来、皆が寝静まった深夜に、ネックレスを着けて洗面所の鏡の前に立つのが日課になった。
0.5カラットあるダイヤモンドは、蛍光灯の光を反射してとてもキレイ。
あるとき、眠ったはずの息子が後ろに立っていた。
「ママ、きらきらできれい。おひめさまみたいでかわいいよ」。
ニッコリ笑ってそう言った。

こまめに美容院に行けないから髪はいつも根元が黒いし、外遊びで汚れるから高価な服は着られない。
それでも、ダイヤのネックレスを身に着ければ、いつでも私は可愛いお姫様になれるのだ。
だから、もうしばらくは、これでいいか。
息子にとってのお姫様で。
彼が巣立つその日まで。

入選

たからもの(たみちゃん 様・埼玉県・62歳・女性・主婦)

子どもを三人育て上げ、それこそが自分の人生の財産だと思っている。だから私は、ブランド品も宝石も、ほんの少ししか持っていない。そしてそのことに不満もない。

夫もそうだ。酒も煙草もやらない真面目人間で、二人して「貧乏性だね」と笑う。

ただ時折、少々派手めの姑が、ゴルフ場勤めの時代に買いためた宝石やら毛皮やらを見せ、「このくらいの物は持っていないとね」と自慢するのには辟易し、正直、心の奥底にモヤモヤを感じてしまう。まだまだ人間できてない。

そんな私たち夫婦が、なんとか銀婚式を迎えた時のこと。子どもたちが温泉旅行をプレゼントしてくれた。幸せをかみしめた二日間。帰り道に夫が私をデパートに誘った。いつも近所のスーパーで買い物をしている私は、あまり足を運ばない高級百貨店だ。

前を歩く夫が立ち止まったのは宝石店。
「好きなの買いなよ。値段は気にしなくていいからさ」

目の前に並ぶ、ネックレスや指輪、ビアスやイヤリングは、自らを誇るようにケースの中で輝きを放っている。宝石にはあまり興味はないよと強がっていても、ついつい顔がほころんでしまう。それが宝石の魅力なのだろう。
「本当に今までよくやってもらったからさ。記念に一つ、好きなの選んで」

お腹が出て、髪も薄くなった夫が、人のよい笑顔だけは昔のままに、少し照れながら言う。
「いいの?じゃあ、一番高いのにしようかな」

脅し文句で切り返すと、慌てて、
「あ、それ困るかも…」
ときた。結局小さなダイヤのプチネックレスを買ってもらったが、ずっと一つは欲しいなと思っていたので、最高に嬉しかった。

姑の「これくらいのは持っていないとね」より小粒だが、輝きは負けない。満面の笑みの私の胸元できらめいている。

宝石って、込められた想いも含めての宝の石なのだと思う。子どもたちや夫の想いと一緒に、このたからものをずっと大切にしよう。

入選

今なお輝き続ける母のオパール(石川 裕子 様・福岡県・63歳・女性・主婦)

二十歳の誕生日に誕生石を両親から娘に送ると、娘が幸せになると聞いた両親が、宝石店で私にルビーの指輪を買ってくれた帰りしな、母がオパールの前で立ち止まった。シャボン玉の泡のように様々な色が光沢を放つ神秘的な石。母が見ていたのは、いくつかの色がぼんやりと組み合わさって見えるが、光の当たり方で、青色の光沢が強調された石だった。「つけてみませんか?」と店員さん。「いえ、いえ。」と断りつつも、母がその石に心ひかれているのは一目瞭然だった。戦争時代に青春時代を過ごし、婚約指輪など知らない時代に結婚した母だったが、オパールの色合いが大好きだったと後で知った。父がその様子をちらっと見ると、母は、「帰りましょう。帰りましょう。」と我先に宝石店を後にした。今思うと、サラリーマン家庭の主婦だった母にとって、三人の子供を育て上げることが一番で、自分の宝石を買うなんて、許されないことだったのだろう。

父が亡くなり、九十歳を超えた母が、終活で自分の持ち物の整理を始めた。手伝いに行き、鏡台を整理していると、綺麗な箱の中に、四十年前に宝石店で母が見つめていたあのオパールが入っているではないか。「あら。お母さん、このオパールどうしたの?」と聞くと、「お父さんがあの後、買ってくれたの。」と懐かしそうに話した。生前、父が母にプレゼントを渡す光景をみたことがなかった私は、父と母がオパールの指輪を巡ってどんな会話をしたのか想像すると、胸が熱くなった。「綺麗な石だね。」と改めて見入った。六十歳で手にした憧れのオパールは三十年経た今もなお、母の指を綺麗に魅せる。「お父さんが亡くなった後も、毎朝、オパールの指輪を身に付けると、気持ちが落ち着くの。お父さんからは、はっぱをかけられているようで背筋が伸びるのよ。」という。父なき後、一人で暮らす母を父は守ってくれているのだと嬉しくなった。

入選

心の真珠を育てる(矢鳴 蘭々海 様・大阪府・36歳・女性・主婦)

今からもう十五年近く前、私が新卒で入社したのは関西では知名度の高い宝飾会社だった。広報部に配属となった私は、慣れない上に不器用さが災いしてミスを連発し、毎日のように上司から叱責を受けていた。
「知っていますか?真珠貝ってのはね、とっても我慢強いんですよ」

ある日、仕事の失敗でひと際落ち込んでいた私に声をかけてくれたのは、同じ広報部のW課長だった。直属の上司ではなかったが、私が困っているとすぐに助けてくれる当時五十代半ばの男性で、いつもニコニコと気のいい「おじいちゃん」のような人だった。
「アコヤ貝が真珠の核となる小さな石を体内に挿核されたら、真珠になるまで最低一年と半年はずっと、その石を体の中で抱えて生きていくんです。体の中に常に異物があるなんて、さぞ痛いと思いませんか?人間で例えると、ドッジボールがずっとお腹の中に入っているくらい苦痛でしょうね。しかもずっとずっと耐えた挙句、最後はお腹を切られて異物を取り出されるんです。だけど貝のそんな想像を絶する苦しみの果てに、見る者を心からウットリさせる美しい真珠が生まれるんですよ」

そこまで言うと、W課長は私に優しく微笑んで続けた。
「あなたも今は毎日が知らないことだらけで苦しいと思います。でも、ここで頑張っていれば、真珠層が核に少しずつ積み重なっていくように、段々と仕事の知識と経験を積んで、やがて真珠のように素晴らしい輝きを持つ広報ガールになれますよ。だから前向きに明るく行きましょう」

――そうか、私は私の心の真珠を育てていけばいいんだ。失敗も真珠が育つための栄養分にすればいいんだ。暗かった頭の中に、一筋の光が差し込んできた気がした。
 それから一年と半年後の冬に、私は会社のボーナスで自社製品の真珠の指輪を買った。まろやかに白く輝く大粒の真珠が、自分自身の成長の結晶のように感じられてとても愛おしく思えた。私の永遠の宝物だ。

入選

一粒のルビー(川野 高 様・京都府・37歳・男性・公務員)

男だから、というわけではないが、宝石に心を揺さぶられたことはなかった。あえて言うなら、ただの石だった。結婚前、妻に婚約指環を贈った時は嬉しかったが、それは自分の心が動かされたのではなく、妻が喜んでくれたからだった。指環は二人で何軒も店を回って選んだ。妻が選んだのは、あえて磨き過ぎずに、原石の風合いを残したダイヤモンドだった。

けれど、婚約指輪のお返しに、妻から機械式の腕時計をもらったのが転機だった。これも二人で一緒に選んだ。

時計は文字盤の裏面が窓になっており、歯車が見える。その動きを見ていると、仕事で気持ちがダラけてきたときなど、不思議と気合が入った。

そのうちに、窓の中に小さな赤い点があることに気づいた。気になって調べると、歯車の軸受けに使われる人工ルビーと分かった。気の遠くなるほど回転する歯車の動きを正確に保つため、摩耗しない強靭な石が使われる。それを知ってから、時計の裏面を見るとき、だんだん歯車よりもルビーに目が行くようになった。こんなに強いものを自分は身に着けている。そう考えると、自分ももっと頑張れそうな気がした。その赤を美しいと思い、その輝きから勇気づけられる気がした。普通とは違うかもしれないが、宝石の魅力を自分なりに感じた瞬間だった。

こんなに小さい石からも力をもらえるなら、宝石を愛する人たちが美しいジュエリーから得る喜びはどれほどだろう。そう思うと、なんだか妻にルビーを贈りたくなった。妻の好みとは違う。けれども、年齢を重ねることで、似合う石も本人の好みも変化するとも聞いた。人は時の流れに磨かれることで、磨き抜かれた宝石がより似合うようになるのかもしれない。二人で時を重ねた先に、妻はどんな宝石が似合う人になるだろう。もしかしたら、大粒の、深紅のルビーが似合うようになるだろうか。そのときがきたら、私は妻にどんなジュエリーを贈ろう。

入選

片方をなくしたピアス(もこもこ 様・滋賀県・35歳・女性・教職員)

その夜、就業時間後のオフィスに一人残った私は、床に、はいつくばっていた。体をかがめて、あらゆる机の下、椅子の下に手を差し挟み、探していた。それが失くなっているのに気づいたのは、昼休憩に鏡を見たときだった。鏡の中の私は、左耳のピアスだけ、とれていた。あわてて左耳に手をやった。朝はたしかに両耳に付けた。どこで落としたのだろう。午後の業務はずっと上の空だった。それは私がお給料をこつこつ貯めて、自分へのご褒美に買った、大切なダイヤのピアスだったのだ。

こっちにもない、あっちにもない……私が途方に暮れて床の上にしゃがみこんだとき、背後で靴音がした。「あれ、広瀬さん? こんな時間にどうしたの?」職場の先輩だった。忘れ物を取りに来たと言う。私が事情を話すと、彼も探すのを手伝うと言ってくれた。それから小一時間ほど手分けして探したが、結局、片方のピアスは見つからなかった。私はしょげた。

それから一週間ほどしたある夜のことだ。私がオフィスに残って一人で残業していると、例の彼が、私の目のまえにポン!と小箱を置いた。上品な紺の箱に、真っ白の、たっぷりしたサテンのリボンがかかっている。いかにも高級そうだ。「開けてみて?」とうながされ、リボンをほどくと、出てきたのは、私が失くしたのにそっくりの、ダイヤのピアスだった。殺風景なデスクの上で、そこだけが特別に光って見えた。それは、きらきら光る星のようにも、うるんだ瞳に浮かぶ大粒の涙のようにも見えた。あの時、右耳に付いていたピアスを、彼はよく見て覚えておいてくれたのだ。私は探すのに夢中で、彼に見られているとは、全く気づいていなかった。恥ずかしくて顔がほてった。

その彼は今、私の夫である。彼にプレゼントしてもらったピアスはもちろん、あの時の片方を失くしてしまった一粒のダイヤもまた、大切に私の宝石箱に仕舞われている。

 

入選

ばあちゃんの指輪(ばあちゃんの孫娘 様・東京都・51歳・女性・会社員)

大正生まれのばあちゃんはいつも着物を着ていて、手には宝石の指輪をしていて、なかなかオシャレな人だった。指輪は必ず大きなダイヤと、それより大きなメキシコオパールの二つを気に入っていて、いつも「こう、これ綺麗やろ」と孫たちにも見せてくれていた。

そんな祖母が、ある時「私が死んだら、指輪は孫娘たちにあげるね。」と言った。孫娘とは、ばあちゃんの3人いる娘の娘(私を含む)3人のこと。当時小学生だったわたしも当然、「どの指輪をだれに?」と気になったけれども、なんとなく聞きづらく黙って聴いていると、「メキシコオパールは●ちゃん(長女の娘)、ダイヤモンドは●ちゃん(次女の娘)、●ちゃん(末っ子の娘である私)にはヒスイの指輪ね。」と言う。ばあちゃんが何を根拠にそのように考えたのかはわからないけれども、小学生の私は当時憤然とした覚えがある。私にといったヒスイの指輪は、ばあちゃんがしているのも見たことがなかったし、ダイヤモンドやメキシコオパールとでは差がありすぎると思ったからだ。

時が過ぎあれから40年以上、そして私50歳。カジュアルな服装しかしないので、指輪はほとんどしないけれども、たったひとつ、身につけても違和感のない指輪がある。小ぶりの綺麗な緑色のヒスイの指輪。そう、ばあちゃんのあの指輪。ばあちゃん、あの時は怒ったけれども、全然悪くないよ、この指輪。私の雰囲気にぴったりだもん、ばあちゃんはきっと私に似合う指輪をと思ったんだね、見るたびにばあちゃんを思い出すよ。ありがとう。

入選

ハワイに置いてきたオパールの指輪(オパール 様・大阪府・30歳・女性・会社員)

昨年、父が肺癌で余命半年を宣告された。母も私もとてもショックだったが、父は私たちを心配させないように病室でいつも笑顔で明るく振る舞っていた。亡くなる3ヶ月前、父に「自宅に荷物が届くのでこっそり病院に持って来て欲しい」と言われた。荷物を病院に持って行って開けてみると、中から綺麗なオパールの指輪が出てきた。オパールの隣には小さなダイヤモンドがついていて、キラキラ輝いていた。「どうだ、綺麗か?かあさん、喜ぶかな?最後のプレゼントだ。」少し照れながら父が言った。癌で体力も視力が弱っていた父は、知人に頼んで母のお気に入りのジュエリーショップからカタログを取り寄せ、知人や看護師さんたちの説明を受けながら真剣に指輪を選んでいたそうだ。指輪を受け取った母は涙をこらえながら、とても嬉しそうにしていた。それからしばらくして、父は真夜中に母と私に手を握られながら息を引き取った。亡くなる3日前に母が耳元で「指輪!ありがとね!」と言ったとき、最後の力を振り絞って軽く頷いた。
父の生前の希望で父の遺骨は大好きだったハワイで海洋散骨することになった。母と3歳になる娘とハワイの美しい海で父とお別れをした。無事に散骨を終えてほっとしたのだが、帰国する日の朝、母が海辺で父からもらったオパールの指輪を紛失してしまった。1時間以上みんなで探しても指輪は見つからなかった。飛行機の時間に間に合わなくなると焦っていたとき、3歳の娘がこう言った。「じいじはばあばが大好き!だからね、指輪はハワイでじいじと一緒だよ!」まさか娘がそんなことを言うとは思わなかったので驚いた。母は笑顔になり、「ばあばもじいじが好きだから指輪はハワイに置いていく!」そう言って3人で笑いながら空港へ向かった。

入選

私は宝石を持たない(ふくも 様・埼玉県・32歳・女性・主婦)

私は宝石を持たない。興味がないのだ。1センチ位の大きさで何千万もする磨かれた石よりも自然のままの鉱石に魅力を感じる。そんな人間なのだ。そんな私だが、唯一所持している宝石がある。それは、ダイヤのついた婚約指輪だ。それをちょうど10年前に夫からもらった。正確には、『一緒に買いに行った』なのだけれど。

夫のするプロポーズは世間一般に言う、指輪を差し出して「結婚してください!」というものではなかった。何なら私の目の前ですらなかった。600キロを繋いでの電話でのプロポーズだった。夫が同窓会でその話をすると、同級生の女の子から「私だったらやり直させる」と言われたそうだ。笑ってしまった。 

遠距離恋愛だったので指のサイズがわからない。そういうわけで2人で婚約指輪を見に行ったのである。宝石店で「普通、婚約指輪って先に用意しておいてからプロポーズするものだよね?」と2人で笑ったのを覚えている。そして夫もやっぱり電話でのプロポーズはマズいと思ったのか、買った指輪を差し出して、改めて私に「結婚してください」と言った。何だかその計画性のなさに笑ってしまったけど、私も改めて「はい」と言った。

今まで宝石なんかこれっぽっちも興味がなかったのに、私は指に嵌められたダイヤの指輪を見て、初めて「なんて綺麗なんだ」と思った。その時に、なぜ人々が宝石を贈るのか理解した。大切な人に、永遠を閉じ込めたような美しさを愛の証として、特別なものとして贈るのだと思った。泣きそうだった。泣かなかったけど。

あれから10年経ち、2人の子供ももうけ、私の体重も10キロ増えた。もうキツくなって入らなくなってしまった指輪を時々クローゼットから引っ張り出してはフフ、と笑って眺めていることは、私だけのひみつ。

後日談   少し前に婚約指輪を買ったお店の前を通った時に夫に『ここで婚約指輪買ったね』と言うと『・・・そうだっけ?』と返ってきた。・・・そういう所だぞ!

入選

宝探しの結末は(海月 様・新潟県・23歳・女性・会社員)

小学生の頃、私は1つ年上の兄やその友人たちに交じって、地元の小さな駅前にある空き地で宝探しをするのが好きだった。通り過ぎる電車の車掌さんも私たちを気にかけて手を振ってくれるような、のどかで人の少ない田舎の無人駅だ。
「見て、白い宝石あった」
「水色みーっけ」

私たちが「宝石」と呼んで拾い集めていたものの正式名称が「BB弾」だということを知ったのは、それから何年も後、宝探しに飽きてずいぶん経ってからのことだ。それでも、当時は本物の宝石だと思って熱心に探し回っていた。

そんなある日、兄たち上級生が次々と宝石を見つける中で私だけ何も見つけられなかった。それが悲しくて、家に帰った私が母に泣きつくと、
「じゃあ、お母さんがこれあげる」
母は寝室にあるドレッサーから、青色の細長い箱を取り出して見せてくれた。中には、金の輪っかの中に真珠が1粒ついたネックレスが入っている。ちょうど私が見つけられなかった「宝石」と同じくらいの大きさの真珠だった。
「お母さんが若い頃つけてたんだよ」

空き地にたくさん落ちている「宝石」よりも、母が私のためにくれたネックレスはとても特別で綺麗なものに思えて嬉しかった。小学校ではもちろんアクセサリーは禁止だったし、宝探しにつけて行くと兄の友人たちに羨ましがられて取られてしまうかもしれない。だから、私はネックレスを机の引き出しへと大切にしまった。

あれから15年以上経つ。もう宝探しのメンバーとは接点もなくなってしまったが、兄はあの時の車掌さんに憧れて鉄道業界に就職した。そして私は今、働きながらジュエリーデザイナーを目指してデザインを学んでいる。相変わらずのどかな無人駅で始発電車を待つあいだ、母がくれたネックレスは今日も朝陽に輝いていた。

入選

ばあちゃんと黒真珠(粒山椒 様・千葉県・33歳・女性・公務員)

「ばあちゃん、なにやってんの!そんなことしないで!」母の声がする。90も過ぎたばあちゃんに大きな声を出すのは珍しい。
何事かと思って行くと、しょんぼりしたばあちゃんが「だいじょうぶだよ…」と寂しそうに呟いた。

今日はばあちゃんの弟の葬式だ。十分長生きだと思うが、やはり弟に先に逝かれるのは相当ツラいのだろう。

母が、ばあちゃんの手から指輪を取り上げ、手をさすっている。
どうしたのかと尋ねると、ばあちゃんは緩くなった指輪をぐるぐると輪ゴムで指に止めていたものだから、うっ血して指先が青くなっていた。それを見つけた母が慌てて止めたのだ。

その指輪は、喜寿のお祝いに母と叔母がプレゼントした大きな黒真珠の指輪。小さな商店をやっていたばあちゃん。その頃は色々な付き合いもあったものの、アクセサリーなど縁遠い性分で、葬式くらいしか指輪なんか着けないと言い張り、黒真珠の指輪になったらしい。
それから母が店を継ぎ、黒真珠の出番は減った。久しぶりに着けたら、年をとって痩せたのか、緩くなってしまったようだ。

夫を早く亡くしたばあちゃんにとって、最愛の弟の死。その弟を送るのに、娘たちからもらった指輪をつけて行きたかったのだ。
そして、ばあちゃんの手にはもう一つ、細い金の結婚指輪。今まで、指輪をしているところなんて見たことないのに……

あぁ、ばあちゃんは大事な大事な弟とのお別れに、夫と娘たちからもらった指輪をつけて行きたかったんだね。
私は、ばあちゃんの深い愛みたいなものを感じて目頭を押さえた。
それからほどなくして、ばあちゃんは亡くなった。

あの緩かった指輪は母に受け継がれ、ピッタリだそうだ。「これ、緩くなったらあんたにあげるわ」そう言って寂しそうに笑う母は、ばあちゃんそっくりだった。
母の手で光る黒真珠。地味ながらどっしりと構えた貫禄が、ばあちゃんそのものだった。