宝石エッセイ入選作品 2020年1月末締切り分

★★★ 2020年1月末締切り分 ★★★
宝石エッセイ募集の入選作品を発表します。

この度もたくさんのご応募、誠にありがとうございました。
なんと、今回で7回目の募集となりました。いつも貴重なエピソードをたくさんご応募いただき、心から感謝いたします。

毎度のことながら、それぞれのエピソードに深く引き込まれつつ、関係者一同、興味深く拝読いたしました。
読み終わった後にこみ上げる様々な思いのもと、ご寄稿いただいたそれぞれの作品に最優秀賞、優秀賞、入選を選ばせていただくことは本当に毎回悩むところでございます。

そうした中、この度も選出させていただきました作品をここに発表させていただきます。

◆総評

最優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「わたしとともに、かがやくもの」は、人生の歩みと宝石の成り立ちとの不思議なシンクロがとても印象に残りました。宝石にはもちろん、身につける際の「年齢制限」などはありません。でも不思議と「あの人だから」とか「今の私だから」など、その時だからこそぴったりとくるジュエリーというものがあるものですよね。いつの時代もアンチ・エイジングが叫ばれますが、むしろジュエリーは年齢を重ねていく中で、だんだんと「今の自分にだからこそ似合う宝石」が増えていくものである・・・と未来が楽しみになる、そんなワクワクした幸せな気持ちが残る作品でした。

優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「祖父から祖母への贈り物」は、読み終わった後の切なさと、わき上がる何とも言えない温かな気持ちが、とても心地の良い作品でした。当時のおじい様とおばあ様のやりとりが目に浮かぶようで、とても幸せな気持ちになりました。病室を出るタイミングでの「あんたにもあるよ。」のワンテンポ遅れたさりげないプレゼント、きっとおばあ様はすっごく嬉しかっただろうなあと、自分のことのように心がときめくエピソードでした。そのおじい様のサンゴのネックレスと共に旅立たれた時の安らかなお顔が、不思議と目に浮かぶようでございました。

今回は、上記の他に入選作品を6作品選ばせていただきました。
もちろん今回選出できなかった作品それぞれも、一つ一つ心を動かされるエピソードばかりで、この度も選出関係者一同、大いに悩みました。
お寄せいただいたエピソードを総じて感じられたことは、宝石やジュエリーは写真や映像に負けず劣らず、持ち主の思い出や記憶を克明に刻んでいるのだなということです。もちろん、きっとそれは楽しい記憶ばかりではないと思います。時に切なく、でもほとんどがあたたかな記憶として皆さんの元に残っていることを強く感じました。
宝石はタイムカプセル、持ち主の方の記憶を呼び起こす特別なアイテムだなと、しみじみと感じました。
この度も数多くのご応募、本当にありがとうございました。  
選出できなかった方々のエピソードも、それぞれ優劣付けがたく、その中で上記の賞を設けましたこと、どうかご容赦ください。

当店では今後もこうした募集をおこなってゆきたいと考えております。
次回募集の詳細は下記のページに掲載させて頂きます。

https://www.favorite-stone.jp/compe/

今後も皆様の宝石やジュエリーに対する想いや思い出に触れられますことを、楽しみにしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

      

フェイバリットストーン 店長 内山美緒

入選作品

最優秀賞

わたしとともに、かがやくもの(奈都未 様・兵庫県・48歳・女性・主婦)

就職してしばらくしたある日。憧れの上司Kさんが歩くたびに、輝くものが耳元に見える。その輝きに、私は目を奪われ、
「うわあ、素敵ですね」
と、口にした。

Kさんは、チャームポイントである目じりのしわをたっぷりと寄せて、笑顔になった。
「仕事を始めて二十五年。思いきって買ったのよ」

左耳のイヤリングを外して、私に見せてくれた。それは、思ったよりも大粒で澄光な輝きだ。つけてみて、というKさんの言葉に、思わず応じた。
「とても似合うわ」

Kさんは、手鏡を持ってきて私に見せてくれた。

微笑むKさんの横で、私はぼう然とした。

何かが違う。首を傾けてみたり、髪の毛を持ち上げてみたりしたけれど、Kさんがつけていた時と違う。私には似合わないんだ、このイヤリング。私はなんだか恥ずかしくなってそそくさとKさんにイヤリングを返した。

あれから二十五年。通りかかった宝石店の前で、あの時Kさんがしていたものとそっくりのイヤリングを見かけた。吸い寄せられるように店に入った私は、気が付くと、イヤリングを試着していた。
「お似合いですよ」

Kさんが私にかけてくれた言葉が蘇る。そんなことはない。目を開いて、私は驚いた。似合う、というか、ジグソーパズルがぴったりはまるように、私の体の一部のように、しっくりときている。

ああ、もしかして……。

あれから二十五年。辛いこと、苦しいこと、いろんなことを経験して、そのたびに頑張って乗り越えた。宝石だって、地中に長い年月眠り、外圧に耐え、さらに磨かれて輝きを増す。私は微笑んだ。Kさんのあの時と同じように、目じりにたくさんのしわができて、それらと共鳴して、宝石はさらに輝いたように見えた。

思いきってイヤリングを手に入れた私は、ウィンドウに自分の姿を映した。街の光を帯びて、イヤリングがいっそうきらめいた。はやる気持ちを押さえて、私はまた、歩き始めた。

優秀賞

祖父から祖母への贈り物(松山 りさ 様・北海道・53歳・女性・パート・アルバイト)

「とうとうできんようになってしもたわ。」 笑いながら祖母は、病室で結婚指輪を外した。手がむくみ、小指につけ替えていたのだが、それもきつくなってしまったのだ。
当時六十代だった祖父母は、高校生のわたしから見ても 、とても仲の良い素敵な夫婦だった。 農作業や家の中の仕事を手伝いながら、温室いっぱいに鉢植えの花を育てていた祖母。水やりだけで毎朝一時間以上かかっていたのだが、
「こんなようけ時間がかかるんじゃけん、もう増やせられんよ。」と言いながら、楽しそうに水やりを手伝っていた祖父。
結婚指輪を外した時、祖母の胸の内はどんなだっただろうか。
その冬、祖父は、町内会の旅行に参加した。余命宣告を本人に悟られないよう、家族みんなで、いつも通りに過ごそうと決めていたのだ。
九州を旅した祖父は、わたしと妹にサンゴのネックレスを買ってきてくれた。それは、いつものぬいぐるみのようなお土産と違って、ちょっと大人っぽかった。つけて祖父と一緒にお見舞いに行くと、祖母はすぐに気付いて、
「じいちゃん、ええの買うてきたねぇ。」とニコニコ見ていた。帰り際、不意に祖父が
「あんたにもあるよ。」と言って、お揃いのネックレスを取り出した。祖父がつけてあげると祖母は、照れくさそうな、満面の笑顔になった。
それからしばらくして、祖母は天国へ旅立った。いつも胸元のネックレスを大切そうに触っていた。やがてつけていることができなくなり枕元に置いていたが、最期の時、母が手に握らせてあげると、祖母は心から安心したように見えた。
ずっと、胸が苦しくなるような出来事だったが、わたしも歳をとり、今では懐かしく思い出しては幸せな気持ちに包まれている。        

入選

宝石の百聞は一見に如かず(小原さなえ 様・北海道・25歳・女性・パート・アルバイト)

宝石自体に全く興味が無かった。そもそもお金持ちの道楽だと思っていたし、一生自分はその魅力に気付かず、触れることもなく将来を終えるのだと思っていた。
そんな矢先、付き合っていた彼と結婚が決まり、指輪を購入することになった。宝石に興味が無ければ当たり前のように指輪にも興味はなく「露店で売っている指輪で良いよ」と私が言うと「君はどうしてそうなんだ、せっかく買ってやると言っているのにそれでも女性か」とそんなことを言いながら旦那は真剣に怒った。同時期に結婚を控えた友人は雑誌に載っている指輪を見て惚れ惚れしており、自分がいかにチープな女か思い知らされた。
指輪を見に行く日。私は興奮気味の旦那を抑えつつ入店した。「いらっしゃいませ」と上品な声と同時に飛び込んできたのは店内に飾られている指輪。なるほど、雑誌やテレビで見るより何倍も麗しく目を取られる。つい数週間前「それでも女性か」と旦那に言われた自分はやはり女性だったのだと思い出させてくれるくらいの何と綺麗で美しいことか。「はじめまして。どうして今まで私をスルーしてきたの?ずっと待っていたんだよ」とダイヤが言っているような気がして、「ごめん」と謝罪の声を出さずにはいられなかった。
早めに切り上げる予定が2時間ダイヤに感嘆し続けようやく指輪が決まり、力尽きた私達の前にお店の方が「石を覗いてみますか?」と最高に大きいダイヤモンドとルーペのようなものを持ってきた。もちろんと覗く。唸りに近いその日一番の感嘆の声が出た。こんなに贅沢な万華鏡が世の中にあったのか、手収まる感じもたまらない。
結論、宝石はお金持ちの道楽なんかではない。敷居の高い産物のような気が勝手にしているだけで、人の気持ちを幸せにし、癒しを与えてくれるからこそ長年愛され続けているのだ。百聞は一見に如かず。宝石をスルーしているそこのあなたも、一度手に取って見てほしい。

入選

父とサファイア(Mio 様・東京都・30歳・女性・会社員)

この時代にあえてジェンダーステレオタイプなことを言ってしまうと、女性は生まれたときから、光物が好きだと思う。
子どもの相手をする仕事をしているが、たくさんのおもちゃがある中で、おはじきを見つけた女の子が1時間もずっとただただいじって遊んでいたことがあった。2歳にもならない子だったと思う。見ながら口に入れないか心配で、早く飽きてほしいと思っていたが、小さな手でゆすったり、一枚一枚仰いでみたり、「綺麗ねぇ。他のお友達にも見せてあげてね。」と言ってもまるで聞かず、片付けの時間まですっかり夢中になっていた。
その子を見ながら、ふと自分の小さいころを思い出した。家のすぐ近くに自衛隊の基地があって、必ず夏の終わりに祭りがあった。飲んべぇの母親はすぐに母親同士で酔っ払ってしまったから、珍しく父が私の手を引いて、祭りの屋台を回ってくれた。何を食べたのか、何で遊んだか、まったく覚えてないが、ふとアクセサリーの屋台が目に入った。
また珍しく、「どれか買ってあげようか。」と父は言った。たくさんあって迷ったが、幼心にもたくさん大きな石が付いているのはおねだりしてはいけないのでは。と思って自分から選べずにいたら「9月生まれの宝石はなんですか?」とお店の人に聞いてくれた。最終的に選んだのはシルバーでハートの形で小さなサファイアが付いた指輪。後にも先にも父が私に何を買ってくれた記憶はないし、きらきら光るそれがとびきりに嬉しかった。
それからしばらくして、父とはあまり話さなくなり、一緒にいることも嫌になった。それは結婚して家を出るその日まで。結婚式で自分と似た涙をこらえている顔を見てやっと、変なプライドで父を傷つけていた自分を猛反省した。
大きくなって高価な大きな石をもらっても、付属で「愛してる。」と言われても、可哀想に、父がくれたファーストサファイアの衝撃には、誰もかなわないのだ。

入選

真珠に映る面影は(ナムラ 様・茨城県・25歳・女性・会社員)

「誰にも内緒よ」

まだ幼かったわたしに、曽祖母はそう言って真珠のネックレスを握らせた。曽祖母のしわくちゃであたたかな手が渡してくれたそのネックレスは、わたしの小さな手のひらの中、降りそそぐ午後の陽を受けてきらきらと輝いていた。
「ないしょなの?」
「そうよ。お母さんやお父さんに見つかったら、きっと取り上げられてしまうからね。あなたが大きくなるまで、大事に隠しておいて。そしてそのネックレスが似合うくらい大人になったら、着けてみせてね」
「わかった」

わたしはお気に入りのハンカチでネックレスをくるみ、決して誰にも見つからないよう、家に帰ってからおもちゃの小箱に仕舞いなおした。

大人になった今でも、その真珠のネックレスはわたしの手元にある。曽祖母が亡くなったとき、初めて母にこのことを打ち明けると、「これからもあなたが持っていなさい」とだけ返ってきた。

曽祖母は曽祖父の後妻で、わたしの祖母は前妻の娘だった。つまり曽祖母とわたしに、直接の血縁関係はない。それを知ったのは随分あとになってからで、以来、わたしは曽祖母からもらったネックレスを見るたびに、少し不思議な気持ちになる。

何故あのとき曽祖母は、周りの目を盗んでまでわたしに真珠のネックレスを贈ったのだろう。小さな曽孫へのプレゼントなら、おもちゃのアクセサリーでも構わなかったはずだ。

それでも、当時のわたしには不釣り合いだった白く淡い輝きの連なりが、最近ようやく身の丈に合うようになったと感じる。もしまだ曽祖母が生きていたら、このネックレスを着けたわたしを見て、彼女はなんと言ってくれただろうか。

わたしが生まれて初めて手にした宝石は、いつも曽祖母の面影とともにある。わたしもいつか誰かに、自分がここにいた証として、真珠のネックレスを譲ることがあるのかもしれない。

入選

母の輝き(柳川昌和 様・大阪府・68歳・男性・フリーランス・自営業)

戦前……母は宝塚のスターだった。

その華やかな時代の名残だろう、私の幼い頃、家には硯箱ほどの大きさの銀の宝石箱があって、開けると「乙女の祈り」のオルゴール曲がかかり、赤いビロードの内張りの張られた箱いっぱいにネックレスやイヤリングなどのアクセサリーがいくつも煌めいて見えた。

ダイヤやエメラルドの指輪もいくつか入っていたが、私のお気に入りは大粒のアメジストの指輪で、外出する際などに母が宝石箱をあけるときには、駆けよってねだってはリングをつまんで綺麗にカットされた宝玉をのぞき込むのが楽しかった。

そんな私を見て「大きくなったら宝石屋さんになるの?」と母が笑ったのは、私のその恰好がアイルーペをつけて宝石をのぞき込む宝石商を連想させたのだろう。

父を失った母のその後の暮らしは二人の子どもを抱えて厳しいものだった。

いつしか銀の宝石箱もその中身もすべて家から消えてしまったが、それでも母は最後まで宝塚時代に培った凛とした気品はだけは失わなかった。

九十二歳で亡くなった母が晩年指に着けていたのは私が米寿の祝いにテレビショッピングで買った安価なダイヤの指輪だったが、母は近所の人たちや友人に「流石にいいものをつけてらっしゃいますね」と言われたと面白そうに話していた。

宝石は人を輝かせるものだが、身に着けている人が宝石を輝かせる場合もあるのかもしれない。

入選

ダイヤの指輪はどうなったのか(弓場謙一 様・長野県・61歳・男性・教職員)

人生を振り返ってみると、若い頃の私はおよそ宝石なるものに縁はないだろうと常々思っていた。結婚云々に関係なく、宝石なんぞに目のくらむような女性なんてまっぴらごめんだと決めつけていたのである。ひねくれ者なのか、進歩的なのか分からないが、ともかくそんなふうに考えていた。

しかし、そんな私が劇的にその思いをひっくり返す事件が起きた。それは、友人の結婚式に出席して隣を見た瞬間であった。かわいらしい見知らぬ女性が座っていたのだ。今となってはどんな話をきっかけとしたのか記憶にはない。いつの間にか式が始まり、いつの間にか乾杯が終わり、いつの間にかスピーチの時になった。しかし、隣の席の女性が気になってなんとか話を盛りあげようと躍起になっていたので、式の進行などには何の気も配っていなかった。

実は、私は友人代表としてのスピーチを頼まれていたのである。しかしマイクの前に立ったことすらまったく思い出せない。結婚の主役達には申し訳ないが、彼女との話に夢中になっていた夢のような時間はあっという間に過ぎてしまった。

努力の甲斐あって、デートの約束を取り付けてのお開きとなった。その後、紆余曲折はあったものの結婚に至った訳だが、問題は婚約指輪である。それまでのこだわりはあっけなく吹き飛び、世間で言われていた月給の数ヶ月分を越えるダイヤの指輪を贈ったのである。人を好きになると、人間はいとも簡単に信念を曲げてしまうものだということを身をもって体験した。

節操のないことこの上ない。でも人並み以上の宝石を贈りたいという純粋な気持ちがイコール愛の表現の一つなのだと思う。

しかし、その後指輪がどうなったのか今は知るよしもない。結婚してからあのダイヤを見た記憶が無いのである。妻は、ちゃんとしまってあるとは言うのだけれど、はたして?

入選

父の本音(じゅん 様・東京都・36歳・男性・会社員)

昨年両親が金婚式を迎えた。二人が連れ添って50年。左手の薬指の指輪はもう傷み始め、その月日の長さを感じさせた。「金婚式だから、やはり『金』にちなんだものをあげよう」ということで私たちはカタログを持ち寄った。
「金杯なんかどう?」
「金扇じゃおかしい?」
「やっぱり金一封じゃない?」
しかしそのやり取りを聞いてた父は「何が金婚式だ。馬鹿馬鹿しい」と言った。父は昔からそういう人だった。職人気質で母に対しては「女は黙って三歩後ろを歩け」という態度だった。家のことは母に任せきりで、自分は仕事のことしか考えないような人だった。この半世紀、正直、母が幸せだったかはわからない。だけど「あなたたちがいてくれて良かったわ」と言う母は、私たちにとって大きな存在だった。結局、私たちはブリザードフラワーに決めた。おそらくあの父のことだから何も用意しないに決まってる。だから母が好きなお花にした。
しかし金婚式の二ヶ月前、父が脳梗塞で倒れ、帰らぬ人となった。享年77。あっけない幕引きだった。四十九日の法要後、腰の悪い母に代わって父の遺品を整理した。するとその中に見覚えのない紙袋を見つけた。なんとそこにはゴールドの指輪と手紙があった。
『麗子さん、50年目の結婚記念日おめでとう。 いつも傍にいてくれてありがとう。今年も麗子さんと一緒にお祝いできて幸せです。 今後ともよろしくお願いします』
手紙を読んだあと、しばらく何もする気が起きなくなった。「今後ともよろしくお願いします」だって。父さん、笑っちゃうよ。そう思いながら少し切なくなった。皆の前ではずっとずっと素直じゃなかった父。でもずっとお母さんのことが好きだったんだよね。きっと、今だって、本当は。
「うるせえ」
遺影の父からそんな声がきこえてきそうだった。