宝石エッセイ入選作品 2019年10月末締切り分

★★★ 2019年10月末締切り分 ★★★
宝石エッセイ募集の入選作品を発表します

いつもたくさんのご応募、誠にありがとうございます。
今回で6回目の募集となりましたが、この度もたくさんのエピソードをご応募いただきました。いつも本当にありがとうございます。
心温まるエピソードや、ちょっとクスっと笑ってしまうエピソード、思わず目頭が熱くなってしまうエピソードなど、この度も非常に心に染みわたるお話がたくさんございました。
毎度のことではございますが、たくさんご寄稿いただいた作品の中から最優秀賞、優秀賞、入選の作品を選ばせていただくというのは大変難しく、関係者一同大変悩みました。
そうした中から、選出させていただきました作品をここに発表させていただきます。

◆総評

最優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「ふたつの宝物」は、ご投稿者様の双子のご姉妹の不思議なシンクロに、宝石を通してますます人間の神秘と地球の神秘を同時に垣間見たような気がしました。
ダイヤモンドの語源は、「征服されざるもの」というギリシャ語から来ています。20歳の記念にお互いに贈りあった宝石が、偶然にもお二方ともダイヤモンドであったという事実。
その先に続いている独立したお互いの未来を激励しているようで、とても素敵なセレクトだなとしみじみ感じました。「今でもとびきり特別な宝物」という言葉が、胸にグッときました。

優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「ひっそりと幸せ」は、タイトルにも非常に惹かれました。宝石という、こんなにも小さな存在達が私たちにもたらしてくれる幸せ。小さいけれど想い出を刻み、同じ時代を歩み、苦楽を共にすることで存在としてはとても大きなものになっていくのだとつくづく実感いたしました。家族全員の想い出が刻まれているジュエリー達、形を変えてご家族の中で持ち主を変えながら輝き続けるその姿を想像すると、「とても幸せな宝石たちだな」と心がホッコリといたしました。

今回は、上記の他に入選作品を7作品選ばせていただきました。
当然のことながら、ご寄稿いただいたエピソードそれぞれに優劣を付けることはできません。
その中であえて賞を設けて選出するという作業は、毎度のことながら選出関係者一同、今回も大いに悩みました。
お寄せいただいたすべてのエピソードを総じて感じられたことは、時に寄り添い、時に励まし、時にどこかからひょっこりと姿を現す・・・宝石やジュエリーというものは人間にとって「親友」のようなものであるということでした。特別な時に、特別な想いを伝えるために、時に自分自身にその“特別な時”を刻むために、私たちはジュエリーを選びます。そんなキラキラとした特別な時間が、これからも皆さんに続いてくれるといいなと強く思いました。
この度も数多くのご応募、誠にありがとうございました。
選出できなかった方々のエピソードも、それぞれ優劣付けがたく、その中で上記の賞を設けましたこと、どうかご容赦ください。

当店では今後もこうした募集をおこなってゆきたいと考えております。
次回募集の詳細は下記のページに掲載させて頂きます。

https://www.favorite-stone.jp/compe/

今後も皆様の宝石やジュエリーに対する想いや思い出に触れられますことを、楽しみにしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

      

フェイバリットストーン 店長 内山美緒

入選作品

最優秀賞

ふたつの宝物(キノウの双子 様・東京都・51歳・女性・会社員)

子供の頃から今まで、物欲というものをあまり持たずに生きてきました。これは私と双子の妹も同じです。

私たちが育った家庭は貧乏でもなく、かといって贅沢ができるほど裕福でもなく、ごく普通のサラリーマン家庭でした。ただひとつ、母の独創的な考えの元、お金に関しては厳しい管理下にありました。お小遣いという制度はなく、義務教育が終わる歳まで、自分たちで自由に好きな服や本を買うということはありませんでした。

そんな私たちに宝石ブームが巻き起こったのは、学校を卒業し自分で働いたお金で何でも好きなものが買えるようになってからでした。今思えば若い頃、人並みにキラキラした物に憧れた時期があったように思います。

当時の私は「インカローズ」というピンク色の宝石がお気に入りでした。恋愛の石として有名ですが、私は単純に「インカ帝国が栄えたアンデス山脈が産地」という物語にロマンを感じたことが理由でした。

妹は「ムーンストーン」が好きでした。神秘的で少し濁りのある透明感が、当時の妹の心を癒してくれたようです。

そして二十歳の誕生日。これまで頑張ってきたお祝いに、特別な宝石を贈り合おうということになりました。贈る石は内緒。何にしようかな、やはりあれかしら。互いを想い考えを巡らせた結果、箱を開けて驚きました。

私たちが私たちを想い選んだ石は、宝石の女王「ダイヤモンド」だったのです。大きさや値段もほぼ一緒。苦笑いというか、思わずハイタッチしてしまいました。
「どうしてダイヤ?」「だって特別だから」「ひとつくらい持っていても」「やはりダイヤでしょ!」そんな楽しい会話が飛び交いました。あの時のダイヤモンドは、今でもとびきり特別な宝物です。

優秀賞

ひっそりと幸せ(ひかり 様・群馬県・39歳・女性・主婦)

母の還暦祝いにジュエリーを贈ることを、随分前から決めていた。
我が家には、小さく可愛らしいブリキの入れ物に入った、何かの宝石のオーバル型のルースと、誰の指のサイズにも合わない、サファイアの指輪とエメラルドの指輪があった。
20年以上前、父が社員旅行で行ったネパールのお土産だった。
父が外国のお土産に宝石を買ってきたと知った時、私と妹はまだ幼なかったけれど、とても高揚した、幸せな気持ちになったのを覚えている。
黄色く透ける丸い石が、イエローサファイアかしら?と期待したときもあったが、それはシトリンだった。
シトリンのルースと小さなサファイアとエメラルドの付いた2つの指輪。
当時、父の小遣いから妻と幼いふたりの娘に買ってあげられる、精一杯の宝石だったのだと思う。
母の60回目の誕生日を前に、妹とお金を出しあって、シトリンをペアシェイプ型にカットし直してゴールドで縁取り、ネックレスにした。
眺めているだけだった2つの指輪も、それぞれシンプルなネックレスに仕立て直した。
めでたく3本のネックレスが完成し、母に贈った。母に宝石を贈るのは、なんだか照れ臭くて、お風呂上がりの母に、還暦のお祝いにネックレスを作ったから、とだけ言って渡した。母は濡れた頭にタオルを巻いたままの姿で箱を開け、胸に抱えて何度も屈んで「ありがとうね」と言っていた。
母に贈った3本のネックレスだったが、その後、私と妹も、ちゃっかり拝借して身に付けている。今ではどれかのネックレスが、母と私と妹と、いつも誰かの胸元で小さく光って揺れている。
それほど高価な宝石ではない。
それでも、父が我が家に持ってきた時から、眺め、手に取り、仕立て直して母に贈り、皆で身に付け、20年以上もの間、ひっそりと楽しく幸福だった。いつもそばで光る小さな宝石たち。私たちはきっとこれからも、ひっそりと幸福だろう。        

入選

18歳の宝石(ゆにお 様・東京都・47歳・男性・会社員)

高校三年の時、付き合っていた彼女の誕生日にジュエリーをプレゼントしようと思った。クリスマスやホワイトデーにはお菓子やハンカチをあげていたが、たまには高価なものをあげたい。うどん屋でアルバイトした資金を手に、私はデパートのジュエリー売り場に向かった。
デパートに行ってみて、驚いた。ジュエリーはみんな高い。やっぱりハンカチでいいかな……と思って去ろうとしたら、店員のお姉さんに声をかけられた。制服姿の高校生がデパートのジュエリー売り場に来ることはすごく珍しいらしい。
「ご予算はいくらぐらいですか?」
そう訊かれて、私は返答に窮した。一万円しか持っていなかったのだ。今から三十年近く前の話である。うどん屋のバイト代も安かった。ショーケースに並んでいるジュエリーはどれも五万、十万して、私にはとても買えそうもない。消え入りそうな声で、
「予算は一万円です……」
と答えた。すごく恥ずかしかった。一万円で買える宝石はデパートにはないだろうなあと思っていたら、お姉さんはニッコリ笑って「大丈夫ですよ」と言い、一つのピアスを持ってきた。銀のピアスで、誕生石らしい「ペリドット」という石が付いている。これなら一万円で買えるらしい。というか、これしか買えないのだった。お姉さんは申し訳なさそうに、
「一万円のご予算でご用意できるのは、こちらだけになりますが……」
と言った。ジュエリー売り場で一番安いジュエリーを買う。十八歳の少年にはとても恥ずかしく感じられ、自分の居場所がないように感じた。
「じゃあ、これ下さい……」
私が一番安い宝石を恥じているのを感じ取ったのか、お姉さんは商品を包み終えると、毅然とした口調で言った。
「女性にとって、大好きな男性からプレゼントされる宝石は何よりも大事です。どうか胸を張って、お渡しになって下さい」
そうだ、何も恥じる必要はないんだ。
お姉さんの言葉が、温かく感じた。

入選

青と橙と(ナッツ 様・茨城県・29歳・女性・公務員)

私にはオレンジが似合う、と友人たちが口をそろえて言う。おしゃべりが好きでいつもニコニコ楽しそうで赤と黄色の色彩を併せ持つ暖かな橙色の服や持ち物が私の雰囲気に合うと言うのだ。自分でもそうなのかな、と何となく思っていた。確かにオレンジ色嫌いじゃないし…。明るいと誉められるのであれば悪い気分はしなかった。
しかし、本当は私が一番好きな色は青だった。海のような深く知的で混じりけのない青。空の色、地球の色、宇宙の色、何だって人間が美しいと思う世界は青いような気持ちさえしていた。
私は9月生まれである。9月の誕生石は海のようなブルーサファイア。幼い頃、自分の好きな色が誕生石だと知ったときは飛び上がりたいほど嬉しかった。世界と自分が見えない深いところで繋がっているような謎の確信感を覚えたものだ。けれど、仲良くなった友人から「青色あまり似合わないね」と言われたその時から、その喜びは誰にも共感し得ない私だけの秘密なのだった。
親の仕事で転校が多かった私。クラスに慣れない不安な気持ちを周りの皆に悟られてはいけない。いつも明るくニコニコしなくては。「元気があって楽しい」そんな風に新しいクラスメイトに思われているのであれば、手っ取り早くそのイメージにキャラを寄せるのが楽なのである。
そうしてオレンジに寄せれば寄せるほど青に対する想いは人知れず募っていった気がする。
私は青い色が好きなの。青は私の宝石なの。青を持つ宝石の月に生まれた自分が本当は好き。でも、皆には私の青は見えない。
何年もまとってきた橙色のベールの内側には悲しさや、寂しさ、涙など隠している感情が青と一緒に隠れているようだった。
気付けば恋や失敗をして私は大人になっていた。いまやニュースを見ると型にはまらない個性はそのままでいいという時代になってきてる。私も周りから受ける印象に寄せようとしなくなった。来年は30歳である。ここらでひとつ、自分をさらけ出す決意を胸にブルーサファイアの指輪を買ってみようか。

入選

ターコイズネックレス(いとまき 様・東京都・52歳・女性・パート・アルバイト)

もうずいぶん前の事です。当時通っていた職業訓練校の同じクラスで、仲の良い友達ができました。
私よりも若く、20代半ばの綺麗な女性で、多少の気の強さも彼女の魅力でした。
訓練校での受講期間も終盤に近づいた頃、彼女から「買い物に付き合って」と誘われました。ショッピングモールの中にあるアクセサリー屋さんに入ると、彼女はいろいろなアクセサリーを手にとって、どれが良いか思案しているようでした。
普段からおしゃれな人だったので、どんなアクセサリーを選ぶのか興味津々で見ていると、「人が着けている感じが見たいから、ちょっと着けてみて」と、何点かのアクセサリーの見え方を私で試しているようでした。
彼女が選んだのは、繊細なシルバーチェーンにブルーのターコイズのペンダントトップがついた、ネックレスでした。レジで、お店の人に商品を包装してもらっている間、「可愛いネックレスだね。○○さんに似合うよ。何か私がつけると、首が太過ぎて首がしまってるようになってたけどね。」と私が笑いながら話すと、「そんな事言わないでよ。」と彼女が少し怒ったように、綺麗に包装してもらったばかりのそのネックレスを私に渡してくれました。その時初めて、講座終了でもうすぐ別れてしまう私へのプレゼントだったのだと気付きました。
少し気が強くて、少し不器用な彼女の気遣いが心に残って、いまでもブルーのターコイズを見ると、彼女の事を思い出します。
人を幸せな気持ちにしてくれる宝石は、もしかしたら神様から人へのプレゼントなのかなと思っています。

入選

祖父のジュエリーボックス(陽子 様・宮崎県・38歳・女性・主婦)

先だって、91歳の祖父が入院した。歩行が少し不自由になり、年相応だろうという周りの意見は聞かず、大手術に臨んだ。頑健で、これまで大病経験のない祖父の入院は、上を下への大騒ぎ。日に何度も、やれ茶がないだの、柿が食べたいだのと電話で下知があるらしい。高齢になってのリハビリは想像よりハードで、ほら言わんこっちゃないというのが、私の本音だ。
先日、祖母の様子を見に行くと、祖母は一生懸命、祖父のパジャマを繕っていた。そんな事しなくても…と言う私に、『そんなこと言ってないで、別のパジャマも持って来て』とのこと。私は渋々祖父の部屋に入った。主不在の部屋はしんとして薄暗い。時が止まったかのようだ。近い将来、こんな時が来るかもしれないと思うと、心臓が締め付けられる。頭を振って、不吉な想像を追い払うため、勢いよくクローゼットの扉を開けると、私は「あっ」と小さく声を上げた。そこには、祖父のジュエリーボックスがあったのだ。
現役の頃の祖父は、毎朝ここから、その日のアクセサリーを選んでいた。背筋を真っすぐ伸ばし、早足で歩く祖父の胸には、いつもパールのタイピンが、腕にはきれいな石のカフスが光っていた。子供の頃、私はこの箱の中を見るのが楽しみだった。30年ぶりにそっと箱を開くと、ジュエリーはややくすんでいたが、変わらぬ凛とした誇りのようなものがその中には入っていた。
あぁ、そうか。祖父も同じなのだ。確かに、あの頃に比べれば年を取り、身体はくすんでしまったかもしれない。しかし、ハートはあの頃と同じ輝きを持ち続けているのだ。年なんか関係ない。当然、誰だって歩けるようになりたいに決まっている。私は輝く祖父の気持ちを、もっと応援すべきだったのだ。
あのタイピンとカフスを病室に持っていってあげようと思う。祖父がパールと同じ輝きを持ち続け、リハビリを頑張れるように。そしてまた颯爽と歩ける日が来るように。頑張れ、じいちゃん!

入選

祖母のアメシスト(レモン 様・大阪府・29歳・女性・会社員)

祖母の宝物はアメシストの指輪だった。若いときに祖父からプレゼントされたもので、いつも私に「これはね、じいちゃんからもらったたった一つのプレゼント」と笑顔で嬉しそうに話してくれた。私が大学生のときから、祖母はその指輪を見せながら「ばあちゃんが死んだら、形見としてこの指輪あんたにやるけんね」と遊びに行く度に言っていた。
私は大学を卒業してから念願だった会社の海外事業部で働くこととなり、アメリカで働くことが決まった。アメリカに出発する前も祖母は「この指輪、何かあったらあんたにやるけんね。ここに入れとくけんね」と言っていたが、「そんなこと言わないで元気でいてね」と言って私はアメリカに旅立った。
アメリカで働き初めて一年が経とうとしていたとき、祖母は癌で入院した。その数ヵ月後、父から夜中に国際電話がかかってきた。「おばあちゃんが危ない」。私は急いで日本に帰国したが、間に合わなかった。お通夜のあと病院から持ち帰った祖母の荷物を片付けていると、祖母の指輪と紙切れが出てきた。紙切れには「○○○ちゃん、おかえり」と震えた字で書かれていた。おそらく入院中に書いたものだろう。涙が止まらなかった。
あれから、三年の月日が流れた。祖母のアメシストの指輪はネックレスに通して今でも大切に身につけている。

入選

小さな小さなガーネット(石原 加代子 様・神奈川県・66歳・女性・無職)

小さな頃から光るものが大好きで、長じるに従って宝石を少しずつ増やしていった。真珠、ダイヤモンド、エメラルド、サファイア・・。今、宝石箱には沢山の輝きが眠っている。その中で私の一番思い出深い宝石は、最も小さなガーネットのイヤリングである。

中学校の教員をしていたもう三十年ほど前の話だ。私も若かったので、生意気盛りの子どもたちとよく衝突した。体育祭も合唱コンクールもさんざんな成績で、子どもたちは担任が悪いからと言い、担任の私はあんたたちに原因があると言い放っていた。不思議なことにこの時期の思い出は不快ではない。お互いに腹の底から本音をぶちまけていたからだろう。

その子たちの卒業式の時だ。他のクラスには、担任に捧げられるであろう大きな豪華な花束が届けられていた。自分のクラスにもあるのだろうな、と期待しながら教室に入ると、ない。何となくそんな気もしていたが、やはり寂しい。ま、いいかと諦めながら、最後の学活を始めようとした瞬間、、全員が立ち上がって、「先生、ありがとうございました」と言ってくれた。涙がこぼれそうになった時、「先生、泣くのは早いよ」と言って、小箱を手渡された。開けると、小さなガーネットのついた18金のイヤリングが入っていた。常々、先生は首が折れるほどのダイヤモンドがほしいと言ってたし、絶対、花束や寄せ書きより宝石の方が喜ぶに違いないと結論に達し、お金を出し合って買ったと言う。当たっている。私という人間をよく分析している。さすが私の生徒だ、と妙に納得し、感激した卒業式になったことを鮮明に覚えている。

宝石というにはあまりにも小粒だが、私にとってはかけがえのない宝物である。因みにガーネットは「実り」を象徴する宝石だそうだ。あの子たちも、四十五歳を過ぎ、それぞれの人生を歩んでいる。その日々が実り多いものになるよう、ガーネットを見るたびに祈り続けている。

入選

気持ちのいいさようなら(ぶひ 様・滋賀県・31歳・女性・公務員)

分かれて一年もたつのに、前の彼氏からもらった指輪を外せずにいました。「あっちのゼロが1コ多いヤツはもうちょっと先ね」と笑いながら買ってもらった小さな小さなダイアのついたシルバーリング。外すと日焼けの跡がわかるくらいに指になじみ、外さずにいれば、彼が戻ってきてくれるような気になっていました。

教員をしている私は、修学旅行で海へ行きました。子ども達ははしゃいで水辺に入り、一緒に遊ぼうと呼んでいました。日にやけるなぁと思いながらも、童心に戻り、みずを掛け合ったり砂浜で山を作ったりして時間を過ごしました。

帰りの新幹線で転寝から起きた私は、指に違和感を感じました。リングがなかったのです。荷物をひっくり返して探しましたが見つかりません。家に戻ってからも何度も同じところを探しました。

リングをなくして数日後、給食を食べていた私の手を見て、子どもの一人が言いました。「先生、指輪どうしたん?」修学旅行でいつの間にかなくなっていて、どこでを探してもでてこなくてすごくショックだと話すと、別の男子児童が「あーーー!!」と大きな声を上げました。「あれ、先生のやったんか、ほら、あれ!海で拾ったやつよ!」「あー!砂から出てきてお宝や~っていってたやつ?!」と別の子も言い出しました。「それどうしたん?もお宝拾ったら持って帰ってきたやろ?」と大真面目に言う私に彼らは「いやいや、それ泥棒やって先生!」!「もちろん監視の人に渡してきたわ!」「当たり前やん!おれらえらいからな!」「ドンマイ!先生!」と笑う男子たち。「かわいそう…」と言ってくれたのはやっぱり女子生徒でした。とても残念で落ち込んだふりをしながらも、ぎゃぁぎゃぁとうるさい男子生徒たちのおかげで、次の恋にすすめそうで、少しほっとした私でした。