宝石エッセイ入選作品 2019年7月末締切り分

★★★ 2019年7月末締切り分 ★★★
宝石エッセイ募集の入選作品を発表します

いつもたくさんのご応募、誠にありがとうございます。
今回のエッセイ募集で、当店においては5回目になりました。この度もたくさんのエピソードをご応募いただき、心から嬉しく思っております。
毎回の募集で感じることですが、いかに宝石やジュエリーというものが私たちの身近で大切な役割を担っているかということを強く実感し、それぞれの宝石やジュエリーに関わる人間のエネルギーの強さ・かけがえのなさを、改めて噛みしめる思いでした。
この度もたくさんご寄稿いただいた作品の中から最優秀賞、優秀賞、入選の作品を選ばせていただくというのは大変難しく、関係者一同大変悩みました。
そうした中から、選出させていただきました作品をここに発表させていただきます。

◆総評

最優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「折り紙の指輪の真実」は、4年もの月日を経て転がり出てきたルビーの指輪に、旦那様の変わらぬ心が体現されているようで、拝読している時に鳥肌が立つほど感動いたしました。折り紙の指輪の中にそっと忍ばされていたルビーの指輪、プロポーズの際に気づかなかった彼女様に自ら「中に入っているよ」と言い出すわけでもなく、いずれきっと見つけてくれるだろうというささやかですが「これからの人生を共に歩む人への信頼」がそこにも滲み出ているようで、こんな関係って羨ましいな、と心がときめくエピソードでした。

優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「これが宝石」は、なんといってもお父様と娘様の良い関係性が滲み出ている、微笑ましいエピソードでした。読み進めていくうちに、まるで自分も子供の頃に戻ったかのように、「そうそう、似たようなことが自分にもあったな~」と共感でき、当時のワクワクした気持ちがよみがえってくるようでした。娘様が様々なイベントで宝石に魅了されていくエピソードの裏側に、娘様の笑顔を見るために一生懸命宝石関連の場所やイベントをお探しになっているのであろうお父様の頑張っているお姿が見えるようで、読み終わった時には思わず笑顔になってしまうような、そんな愛情あふれるエピソードでした。

今回は、上記の他に入選作品を6作品選ばせていただきました。
毎度のことではございますが、ご寄稿いただいたエピソードの一つ一つに皆様の大切な思い出や思いが刻まれていることが強く伝わってまいります。
その中であえて賞を設けて選出するという作業は、選出関係者一同、本当に頭を抱えるところが多くございました。
お寄せいただいたすべてのエピソードを総じて感じられたことは、「宝石」はいってみればただの石ですが、それを持つ「人間」が「想い」を吹き込むことで初めて、ただの“石”に留まらない「特別なアイテム」になることができるのだということです。宝石が持つ価値も勿論無視できないですが、「いつ」「誰に(から)」「どうして」が、そのジュエリーや宝石に更なる価値を生み出すのですね。
ご寄稿いただいた全てが、それぞれに心を動かされるエピソードでございました。
この度も数多くのご応募、誠にありがとうございました。
選出できなかった方たちのエピソードも、それぞれ優劣付けがたく、その中で上記の賞を設けましたこと、どうかご容赦ください。

当店では今後もこうした募集をおこなってゆきたいと考えております。
次回募集の詳細は下記のページに掲載させて頂きます。

https://www.favorite-stone.jp/compe/

今後も皆様の宝石やジュエリーに対する想いや思い出に触れられますことを、楽しみにしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

フェイバリットストーン 店長 内山美緒

入選作品

最優秀賞

折り紙の指輪の真実(みゅか 様・東京都・31歳・女性・主婦)

4年前の7月1日、この日は彼氏とデートの約束をしていた。夕方、お台場の観覧車に乗ろうと誘われ、頂上に到達しそうな頃、彼が私の手をとり口を開いた。「結婚してください。」正直、驚きはしなかった。当時付き合って6年目。この観覧車は初デートの場所。そしてこの日は私の誕生日。当然プロポーズされることを期待していた。しかし、その後の行動には驚いた。彼がバッグからリングケースを取り出したからだ。普通ならさほど驚くことではないかもしれないが、私たちは付き合ってから指輪を買ったことは一度もないし、彼はもちろん、私でさえ自分のサイズを知らなかった。『どういうことだろう…』不思議に思いながら中をみると、入っていたのは折り紙の指輪。私の誕生石ルビーをイメージした赤い折り紙で作られていた。これを一生懸命折ってくれたんだなと思うと、嬉しさと愛おしさがこみ上げてきた。返事はもちろんOK。私たちは夫婦となった。(ちなみに後日指輪を買ったが、ルビーではなくダイヤモンドにした。)

それから毎年7月1日には、彼からもらった折り紙の指輪を飾っている。今年も飾ろうとしていた時、ふと赤い折り紙部分を見ると、うっすら文字が透けていることに気がついた。よく見えなかったので彼に聞いてみると「開いてみたら?」と返事が。破らないよう慎重に開くと、裏側に「愛してます」の文字、そして中から何かがポロっと落ちて床を転がった。「?」となっている私をよそに慌てて拾う彼。なんと、それは本物のルビーだった!(なくさなくて良かった…)まさかのサプライズに驚きと嬉しさで号泣。「プロポーズの時は泣かなかったのにね。」と笑いながら、彼も隣でもらい泣きしていた。あぁ、やっぱりこの人と結婚して良かった。なかなか恥ずかしくて言えないけれど、私も「愛してます」。

優秀賞

これが宝石(いーぱぱ 様・滋賀県・40歳・男性・会社員)

「見て~、帰り道でダイヤモンド拾ってん!」
当時園児だった娘が、手のひらで光る1ミリ程の大きさの物体を見せてくれた。私には砂の粒にしか見えなかったのだが。

「無くした人困ってるかなあ?」

言葉と裏腹に、ニヤニヤしている娘。うーむ、まあ、多分ダイヤじゃ無いはずだから…今回はいいか…。 これがきっかけとなり、娘は宝石にハマっていった。近所のショッピングモールで採掘体験として、宝石を土から探し出す時にも嬉々として砂をシャカシャカしていた。参加費300円(ショッピングモールで1000円買い物したらタダ)で宝石が手に入る太っ腹な催しだ。それにしても、その時の娘の表情はまさにプライスレス。昔あったスプライトのビンのカケラにしか見えない燻んだ緑の宝石に私は感謝した。ある日福井県にある恐竜博物館に行った時も、娘の興味はもっぱら宝石の展示場。動く恐竜には目もくれず、動かない宝石を娘は立ち止まって夢中で眺めていた。すまん、恐竜よ。

またある時は岐阜県の遊園地に行った時は「宝石探し」というアトラクションに貴重な乗り物券を使い、夢中で砂山を掻き分け探していた。3分の制限時間内で見つけ出したのは1センチにも満たない色の付いた石が3つ。うーん、ミニマム。それでもまだ良い方で、見つけられなかった子供たちもたくさんいた。宝石を見つける厳しさを子供たちは痛感しただろう。

これらの宝石は今、娘の机にある小箱の中に大事に仕舞われており、時折それを取り出してはほくそ笑んでいる。歯の生え変わり時期のため、前歯が一本しか無いその笑顔は、あまりに間が抜けていてこちらが笑ってしまう。そんな娘だが、親からすればどんな周りの子供たちよりも飛び抜けて可愛い。私にとってはダイヤの原石である。しっかり自分を磨いて、将来どでかい宝石のついた指輪をくれる様な恋人を見つけて欲しい。

入選

ダイヤモンドと私の思い出(七瀬 椋 様・神奈川県・35歳・女性・主婦)

四月生まれは、誰よりも先に誕生日を迎えるという、悲しい定めを持った月だ。
新年度になると、毎度憂鬱な気持ちになってしまう私がいた。

だが、四月は誕生石がダイヤモンドなのだ。
天然石の中でもっとも硬いといわれている、ダイヤモンド。
誕生石を知ったとき、私は四月生まれであることを喜んだ。

でも、二十歳になっても私はダイヤを買わなかった。
大好きな石だからこそ、良いダイヤを買おうと、お金をコツコツと貯めていたのだ。

社会人になって二年目。会社の飲み会で、ぽろっと言ったことがあった。
誕生石がダイヤモンドだから、いつか大きなダイヤを買って、自分にご褒美を上げるのだと。
上司は「目標があるのはいいことだぞ」と、先輩は「大きなダイヤを買えるといいね」と言ってくれた。

家庭の事情で、会社を辞めることが決まった時、
一番仲が良かった先輩が「今まで、お疲れ様。大きなものは買えなかったけど」
とダイヤモンドのペンダントが入った箱を、私にくれた。
会社の皆でお金を出し合って、買ってくれたのだと先輩は言った。
箱を開け、キラキラと光るダイヤモンドを見た瞬間、私は嬉しくて泣いてしまった。
念願だったダイヤモンドは、想像よりずっと綺麗で美しかった。

あれから、もう十三年。
私の首元で、ダイヤモンドとあの時の思い出は、色褪せることなくキラキラと輝いている。

入選

母の宝石(あきクマ 様・神奈川県・38歳・女性・会社員)

母の宝石箱には殆どアクセサリーは入っていません。唯一入っている物は家族旅行で行った土産物店で購入した水晶(アメジスト)のネックレスです。テレビで芸能人のダイヤの婚約指輪を見る度、いつかは欲しいと父に話していましたが、なかなか夢は叶えられずにいました。私が働く様になってからは、給料から少しづつお金を貯めて父に代わって母にプレゼントしたい。その時は銀座のお店で買う。そう目標を決めて何年か過ぎたある日、小さい物なら何と買える金額が溜まりました。母には内緒で作戦をたて、購入。母の日に感謝の言葉を添えて渡しました。しばらく沈黙の後、照れくさそうに、今度は自分の為に大事なお金を使いなさい。と一言。その指輪を気にいってくれたか?心配でした。ある時、背中を丸めてこっそりと家族に気が付かれぬ様に、指輪を指にはめては眺めている後ろ姿を見た時に、プレゼントして良かったと思いました。小さな小さなダイヤですが、私の母に対する思いが沢山詰まった宝石。次は私が子供から貰えるような母親になってみたいです。

入選

友情のピアス(アサト 様・兵庫県・26歳・女性・フリーランス・自営業)

私には、小学生から続く親友が三人いる。会えばいつでも昔に戻れる私達は、成人した後も、就職した後も、予定を合わせてしょっちゅう会っていた。

去年、親友の一人であるSが結婚した。祝福する私達に、彼女は「年が明けたら、四国に転勤する旦那について行くから」と告げた。

寝耳に水だった。私達は呆然としたが、幸せそうなSを前に「行かんといて」とも言えず、「寂しくなるな」とごまかすことしかできなかった。

心に穴が空いたような気分だったが、決まったことは仕方がない。Sと別れた後、私達は相談し、彼女にプレゼントを贈ろうと決めた。

後日、私達は宝石店に入った。親友といえど、アクセサリーの趣味は意外とわからないもので、無数の宝石を前に私達は頭を抱えた。

そんな中、小粒のダイヤがあしらわれたピアスに目を惹かれた。そういえば、ダイヤには『永遠の絆』って石言葉があるんだっけ。そのピアスはウニみたいなデザインで、奇抜なものを好むSのお眼鏡にもかないそうだ。

二人も賛成してくれたので、お金を出し合ってそのピアスを買った。やがて年が明けてすぐに送別会を企画し、私達はSにピアスを贈った。

箱を開けたSは喜色満面になり、さっそくピアスをつけながら言った。
「旦那について行くこと、ほんまはめっちゃ迷ってん」

その言葉を聞いてハッとした。私達三人は会いたい時に会えるが、Sは旦那さんと二人きりで遠い地へ行くのだ。寂しくないわけがない。
「でも、旦那とは結婚したばかりやから、離れたらあかんと思って。その点、あんたらは安心やん?」

大雑把なSらしい、要領を得ない言葉だったが、私達は「そうやな」とだけ返した。きっと離れても大丈夫だという確信が、全員の中に芽生えていた。

そして春が来る前に、Sは旦那さんと共に四国へ旅立った。

スマホ越しに再会する彼女の耳には、今も『永遠の絆』が輝いている。

入選

アメリカンサイズ(こまゆみ 様・埼玉県・41歳・女性・教職員)

遅咲きの結婚だった。39歳の時私はアメリカ人の夫と結婚が決まった。だけど両親に言い出せずにいた。それは彼を見たときの両親の反応がなんとなく想像できてしまったからである。でも結婚したい。そして迎えた顔合わせ。両親は彼を見るなり、言葉を失うという予想通りのリアクションを見せた。だけど年も年だし反対するわけにもいかなかったのだろう。最後に母親は言った。「あなたが決めた人だから」
それはどこか諦めのような気持ちにも見えた。それから父は颯爽と自室に引き上げた。その背中がさみしそうに見えた。私の選択は間違っていたのか。だけど彼はいつだって私をおおらかに包んでくれる大事な存在。だから結婚に迷いはなかった。「指輪」の件以外は。

顔合わせのあと、彼は早々と結婚指輪をくれた。だがそのサイズに驚いた。アメリカにはダイヤが大きければ大きいほど愛情が表現できるという価値観がある。そのため彼らはカラーや透明度などのグレードを下げてでもカラット数を重視するらしい。しかし大きい分、価格も上がる。あとで聞けば1年のローンを組んで購入したという。
「こんなの恥ずかしくて仕事にもつけられないし、ローンだよ、借金だよ。ほんと、もうありえない」

あるとき、電話口で母に愚痴をこぼした。すると母は笑いながら父もそうだったと言った。
「大きければ大きいほどいい」
当時贈られたダイヤモンドに母は戸惑った。父もその指輪を買うため、バイトのお給料を前払いにしてもらい、必死に働いたのだった。「でもそれもひとつの愛情表現なのよね。だからやっぱり嬉しかったわ。今はあなたがそういう人に出会えて嬉しいわ」なんだか気づかなかった愛情が垣間見れて少し嬉しくなった。愛に国境はない。それと同じく指輪を贈る習慣にも国境はないのだ。愛する人を思う、そのかたちは違えど、愛はひとつ。母の幸せそうな顔を見て、父にそっくりな男性を選んだのは最高の親孝行だと思った。

入選

裏エピソード(見澤禎夫 様・埼玉県・68歳・男性・会社員)

先日、女房がフェイバリットストーンエッセーに応募していたことがわかった。それと同時に女房はずっと私に金属アレルギーだと嘘をついていたこともわかった。それは婚約指輪にお金をかけないための口実と知り、頭の下がる思いだった。

私は女房が金属アレルギーだと思い、チタンリングを買ったのだがそこまでは長い道のりであった。まず通い始めたパソコン教室でYahoo検索というものを教えてもらった。「キーワードとなる言葉をいくつか入れて下さい」と言われ、「指輪、60代、かゆみ」といれた。するとアレルギー対応の指輪がこれみよがしに出てきた。だけどそこはやはり昭和の人間である。実物を見なければ納得できず、近所のショップに行くことにした。しかし実物を前にしたって、どれを買ったらいいのかわからない。その数と言ったら、数百種類とあるのではないか。こんな無数の指輪からひとつを選ぶなんて大変なことだと本当に思った。同時に結婚も無数の男の中から妻は私を選んでくれたという奇跡に感謝した。キラキラ光るジュエリーに囲まれて半日過ごしたあと、家に戻った。女房の喜ぶ顔が途中で浮かんでむずがゆかった。
「これまでありがとう」

まだその感謝の気持ちはちゃんと言えないでいる。

入選

ペリドットの命(かなちゃん 様・千葉県・30歳・女性・主婦)

赤ちゃんはこの世に誕生する時、それを知らせるかのごとく大きな産声をあげます。しかし、私はその産声を聴くことができませんでした。体重が1000gほどしかない、両手で覆ってしまえるほど小さな赤ちゃんでした。産まれてすぐに室温調整がされた保育器の中でたくさんのチューブに繋がれたその姿はとても衝撃的なもので、今にも息絶えてしまわないかと心配で仕方がありませんでした。

はじまりは8月中旬、お盆真っ只中のことでした。寝ている時に破水してしまったのです。すぐに病院へ行き、そのまま2ヶ月以上も早い出産となりました。赤ちゃんは女の子でした。

出産予定日であった11月上旬まで入院することになると見込まれた娘に対して、私は5日で退院。その後通院はしていたものの、面会時間は限られており離れて過ごす時間の方が多くなっていきました。

本当ならばまだお腹の中にいたのに。膨らみがなくなったお腹を見ては保育器の中で眠る娘を想いました。一方で本当に娘を産んだのだろうかと出産した実感が遠のくのを感じました。

そんなある日、娘の誕生石はなんだろうと思い立ちました。そして生命力溢れる輝きを放つペリドットだと知りました。私はすぐにペリドットの石が輝く指輪を購入し右手の薬指に片時も離さず身につけることにしました。指輪を見ると娘は病院で頑張っているのだから、私もしっかりしなきゃと強い気持ちを持てたのです。まるで娘がそばにいるかのように感じられました。

時がたち娘も様々な壁を乗り越えてすくすくと大きくなりました。なんと予定日よりも早く退院することができたのです。そして今では本当に小さく産まれたのかと大変だった日々を忘れさせてくれるほど大きくなりました。

とても小さな命は強い生命力を持ち、周りをも強く元気にさせるパワーを秘めていました。 ペリドットと娘、二つの光はこれからも力強く輝いていくのだと確信しています。