フェイバリットストーン 銀座本店

★★★ 2018年11月末締切り分 ★★★
宝石エッセイ募集の入選作品を発表します

この度もたくさんのご応募、誠にありがとうございました。
今回は3回目のエッセイ公募となり、皆様から再び素敵なエピソードを数多くご応募いただきました。

ご寄稿いただいた作品は、宝石や貴金属、装飾品全般を媒介として、ご投稿いただいた皆様の人生そのものを物語っているようで、一つ一つのストーリーに心が奪われました。 皆様、ご応募誠にありがとうございました。

3度目ですが、やはりお寄せいただいた作品の中から最優秀賞、優秀賞、入選の作品を選ばせていただくというのは本当に難しく、関係者一同たいへん悩みました。

そうした中から、入選とさせて頂きました作品をここに発表させて頂きます

◆総評

最優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「ルビーのネックレス」は、「女性の生き方で大切なものは何か」ということをとても強く考えさせられました。
外見だけ飾り立てることが良いことではない。「内面から輝ける生き方」を模索することで、いくつになっても女性として輝くことができる。
そして、そんな輝いている自分であれば、いくつになってもジュエリーを素敵に着けこなすことができるのではないか・・・というところに、とても共感いたしました。ご投稿者様の叔母様から譲られたルビーのネックレスが、ある意味「見守り役」のようになっているところが、心温まるポイントですね。
宝石を扱っておりますと、「この宝石を付けることで素敵な自分になれる」もしくは「素敵な自分になってから宝石を身に付ける」の2パターンに女性は分かれるなと感じます。ご自身のペースで、そして生涯を通しての自分だけの「お気に入り」を、全ての女性が見つけてくれたらいいなと、そう強く感じたエピソードでした。

優秀賞に選ばせていただいたご応募作品「チタンリング」は、その題名に違わず、いわゆる宝石やジュエリーが出てくるエピソードではありませんでした。
しかし、贈られてはいないけれどきっと「贈りたい」とずっと思われていただろう旦那様のお気持ちと、当時の状況を鑑みて「金属アレルギー」という優しい嘘をつきとおされた奥様のお気持ちが、「結婚指輪」という形を取らなかったとしてもお互いを思いやる「輪(リング)」として長い年月存在し続けてきたのだと感じました。最後にそれが還暦祝いの「チタンリング」として形を表したところに、宝石以上に価値があるものとしてとても感動するエピソードでした。

入選作品に選ばせていただいた4作品も、選出関係者が中でも特に心を揺さぶられたものを選びました。ご寄稿いただいた全ての作品においても言えることで、かつ毎度感じることではあるのですが、宝石やジュエリーの価値は、その輝きや値段だけで決められるものではないのだと強く思います。勿論、「綺麗だな」「身に付けたいな」が最初のきっかけになることも多いとは思うのですが、それ以上に「誰から」や「どのようなタイミングで」などからスタートして、その持ち主の方と周りの方たちが一緒に紡いだ物語があってこそ更に、宝石やジュエリーには他のものに代えがたい「価値」が生まれるのだと感じました。

この度も数多くのご応募、誠にありがとうございました。

みなさまの大切な思い出をたくさんお寄せいただきましたこと、心から感謝いたします。
選出できなかった方たちのエピソードも、それぞれ優劣付けがたく、その中で上記の賞を設けましたこと、どうかご容赦ください。

当店では今後もこうした募集をおこなってゆきたいと考えております。
次回募集の詳細は下記のページに掲載させて頂きます。

https://www.favorite-stone.jp/compe/

今後も皆様の宝石やジュエリーに対する想いや思い出に触れられますことを、楽しみにしております。
どうぞよろしくお願いいたします。

フェイバリットストーン 店長 内山美緒

入選作品

最優秀賞

ルビーのネックレス (ゆか 様・岐阜県・42歳・女性・主婦)

私には自慢の叔母がいた。自分自身で接客業の店を経営していた彼女は、いつもオシャレで颯爽とした女性であった。私がまだ幼い頃からを可愛がってくれ、忙しい仕事の合間にいろいろな所に連れて行ってくれた。初めての映画も、オシャレなレストランも、叔母と一緒だった。彼女を通して大人の女性とは、を学んだといってもよいだろう。私には白いシャツと白いスニーカーが似合う、そう誉めてくれたのは彼女だった。
病気で亡くなる前に、叔母は私に大粒のルビーのネックレスを贈ってくれた。贈られた時、その美しさに驚き、叔母の愛に感謝した。きっとあなたは、このネックレスが似合うようになる、叔母はそう言った。似合う女性になりなさい、というエールだったと思う。だが、当時まだ若かった私は、正直ルビーに負けていたと思う。自分自身でそう思い、引き出しの奥にしまいこんだ。
それから10年経った。私は、就職し、主人と出会い、結婚し、幸運なことに二児の母親となった。出会いも別れもいろいろとあった10年だった。鏡を見ると、日々の生活に疲れている自分がいる。若さとはそろそろサヨナラの年齢に差し掛かっている。
だが、引き出しの中の大切な箱を開ける度に、私は思い出す。女性は何歳になっても輝いていられる。美しさは生き方からにじみ出るもの。それは叔母がその人生を通して、私に教えてくれたいちばん大切なことだと思う。いつか、私もルビーに負けない貫禄で堂々とネックレスを付けることができる女性になりたい。特別な日ではない、普段の日の普段着にあの、大粒のルビーを付けれるような自信を持ちたい。本当の美しさは年齢に囚われない、と教えてくれた叔母のように。
ねえ、叔母さん。私、ルビー似合うようになってきたかな。どうですか。それとも、まだまだだなあ、とまた頭を撫でて笑うのかな。

優秀賞

チタンリング(カンレキ 様・埼玉県・60歳・女性・主婦)

わたしは35年間夫にうそをつき続けている。それは「金属アレルギー」だということ。嫁いでからずっとだ。そもそも農家だからふだん洒落ることもない。ピアスもネックレスもいらない。農作業に腕時計は邪魔になるだけだ。思い返せば結婚式は挙げなかった。せめて指輪くらいと言われたが断った。理由は農機器の購入に、作業場の修繕が重なったことにあった。一気に何千万という支出だ。だから余計なお金を遣いたくなかった。でもケチだとも思われたくない。

そこで夫には金属アレルギーだと言うことにした。その頃はそれでよかった。

あれから35年。私は還暦を迎えた。見渡せば時代も変わった。細々と農家を続ける傍ら、夫はボケ予防のためパソコン教室に通いだした。不器用で再受講することも多々あった。

そんなある日「還暦祝いだ」と小さな箱を差し出された。絶対指輪だった。中身も見ずに「いいから返してきて」と言った。豚に真珠とでも言おうか、私にはもったいないと思った。相変わらずケチな私である。しかし夫は「いいんだ、持ってろ」と譲らなかった。いらない、いいからの攻防の末「だって私は・・・」と言いかけたときだった。夫が「かゆくならねえやつだ」と言った。かゆくならないとは、つまり金属アレルギー対応の指輪ということだった。夫ったら習いたてのインターネットで指輪の検索をしていたのだ。不器用な夫のサプライズに心がむずがゆかった。 

いま私の左手の薬指にチタンリングが光っている。たしかにプラチナほどの輝きはない。でも私らしくていい。経済的でなおかつ丈夫。きっとこの指輪が人生100年に輝きを添えてくれるだろう。

 

入選

胸元にいつも赤い種 (にじのたね 様・静岡県・30歳・女性・パート・アルバイト)

「受験生として地獄の日々が始まるから、オモイデ作ろう」といつものメンバーで集まった高2の冬。カラオケで騒いだ後、立寄ったパワーストーンの店。若さにありがちなハイテンションの友だちの輪から 少し離れたところで一人、彼女が静かに立っている。(やっぱり無理に誘っちゃったかな、あんまり、楽しくないのかな)彼女は、教室でいつも一人で離れて本を読んでるタイプの静かな子だったけど、ふと、実は私とおんなじロックバンドの人が好きなんだって知ってから、こっそり新曲の話なんかして、今日も無理に誘ってしまった。だけどやはり、大人数で騒ぐのは苦手か。
「ごめんね、もう帰ろうか?」私が言うと「ううん」とつぶやいた彼女の眼は 一点のネックレスに吸い寄せられていた。細工されたハートの真ん中に「ガーネット。ザクロ色の。ボーカルの彼がつけてる石」またボソッと言う彼女。そういえば、雑誌の写真で見た。「私ね持ってるのよ実は」ニットの中に隠してたらしい、おんなじ色の石のネックレス。おとなしい彼女の目が少し燃えてるみたいに見えた。その、ガーネットの色みたいに、強く。

「あなたって意外。いろいろと、静かだと思ってた」

ほかの友達と別れて二人の帰り道。「意外と、すれてた?」ポツリ、ほらそうやって毒を吐くところ。
「私は、オシャレとかわかんないし、外見とか地味だけど、胸にはね、いつもこの色、ザクロ色。音楽と同じくらいいつも、燃えてる、かも」
「受験勉強になんて、燃えたくないよお」 「それにも、この石が効く。努力実る石。あなたも何か買ったでしょう。だから私たち怖いものなし」燃える目で、彼女は強く静かに笑った。

白い雪が降ってきた。もう1月だ。来る未来が地獄か天国かは自分次第。
「絶対夢かなえるんだ。いまはそのための種だよ」。彼女は強い。けれど私は私だけの種を。買ったばかりの胸元に輝く石を、私は想いを込めて握った。

入選

妻のお守り(RMN 様・愛知県・50歳・男性・会社員)

この世に生を享けて半世紀、私は自慢ではないが宝石を持った事も買った事もない。稼ぎが、う~んの事もあり、見て見ぬふりをして来た、という事もある。そうそう、妻だって宝石を身に着けているなんて所を見たことがないしな~ ...すまん、夫は私なんだった。 

だがあの時は違ったよ!妻の誕生日の2月
そう、あの日は気晴らしにと外出に誘い、妻の車イスを後ろから押して背中越しに話しかける。さりげなく我が家に宝石なんてあるのか聞く。うん、やはり無いようだ。とりとめのない会話が続いたが久しぶりに外の空気に触れ、それだけで十分妻は楽しそうだ。そしてその場所に来た。調べておいた宝石店。店の前で少し立ち止ってしまったようで、妻がどうしたの?とか言った気がする。その言葉で我に返り、有無を言う間もなく車イスと妻と私は宝石店の中に入る。(人生初ですね)目的は一つ、妻に誕生石を送りたいのだ。(幸運を呼び込むと言いますよね)私は店員さんに会釈し、「アメジストを」と言ったきり(緊張しましたね~)後はうなづくのみ。(実はあまり記憶がありません) だが、紫の小宇宙から放たれる気品ある色調と舞い踊る光の波を丁寧に説明してくれる店員さん。そして小さな粒にどんどん魅せられていく二人の気持ち。そこはちゃんと覚えている。

妻の首にアメジストが飾られる。うん、うん。妻に聞く。「どう思う?」「素敵ね」「じゃあこれを」妻、目が点。

妻の病気は治るだろうか。時には何かにすがっても良いですよね。これはお守りです!だからタンスに仕舞わずにいつも身に着けてくださいね。似合ってますよ。
神様アメジスト様、妻にいつまでも綺麗で、そして少しでも少しでも長く元気に過ごせるように力を与えてください。

追伸 闘病が続く妻は有りと有らゆるお守りを持っている。でもこのお守りが妻に一番の輝きと活力を授けてくれている事は明らかだ。今もなお

入選

スカイツリーより高い物欲の為に(KAORI 様・埼玉県・55歳・女性・会社員)

私は主婦で母、55歳、小さな会社で経理事務をしています。
部下が三人、工場には20人以上のパートさんがいます。毎年、この時期になると「来年の働き方」の面談をします。気持ちよく働いていただくために「ライフスタイル重視で寄り添うように」をコンセプトにして面接しているのです。今日も三人面接しました。

お子さんが大学生になるから、お孫さんが生まれるから、といったそれぞれのご家庭の理由で103万円の壁を越え、来年は130万まで働きたいと意思表明する人もいます。

確かに家族の為、生活の為に働く、これは正しい生き方ではありますが、30万円も多く働く意思を固めた人には面接で「ご褒美の勧め」をしています。

昨日も、面接した時、ご主人と中2の息子さん、小5の娘さんをもつTさん42歳。130万円の枠にしたいと申し出がありました。

聞けば、教育費がかさむ一方だと。パートさんが130万働くには8時半から5時まで週に4日は働かなくてはなりません。面接中不安と不満が入り混じったようなお顔だったのでまた「自分へのご褒美」について話してみました。「42歳ということはあと3年で45歳でしょ。45歳の記念にジュエリーを買うのはどう?毎月10万円のパート代から5000円だけ自分に貯めるの。3年で18万円になったらそれでまず、記念ご褒美ジュエリーを買うのよ。ペンダントでも指輪でもいいじゃない?」と。

彼女は目をキラキラさせて「そうですよね。指輪がほしいです。私頑張ります。今日からネットでウキウキと検索します」と言っていました。ある意味、働く目標ができたようでした。かくいう私も記念ジュエリーはかってきました。

自分に自分からのご褒美です。30歳、40歳、50歳と・・・

確かにパッと買えるのは素敵な事。でも毎月どれにしようか?と想いをはせながら買うものこそ「STORY」があると思うのです。ジュエリー、時計、バック、コート、「スカイツリーより高い物欲」の為にわたし・・・今日も頑張って働きます。

入選

ダイヤの価値 (くまお 様・埼玉県・22歳・男性・学生(大学/大学院/専門学校))

僕が五歳くらいのころ、母が指輪をなくすという大事件が起こった。母が一番大切にしていたダイヤの指輪で、その昔、父がプレゼントしたものだ。どれだけ探しても見つからず、母は泣いて悲しみ、何日も落ち込んでいたのを覚えている。当時の僕はダイヤの価値なんてわからなかった。それでも、こどもながらになんとか元気付ようと思ったのだろう。本で作り方を見ながら、折り紙で指輪を作ってプレゼントした。とても喜んでくれたが、決して無くなった指輪の代わりになんてならないということは、その年でもわかった。笑顔の奥に、さみしさがまだ残っていたから。

二十歳の誕生日、僕は母にダイヤのネックレスを渡した。
ずっとあのときの記憶が頭を離れなくて、成人した感謝の気持ちを表すにはやはりダイヤだと考えたのだ。今度は紙じゃなくて本物のダイヤを、と。もちろん、学生が頑張ってバイトをすれば手の届く、小さなダイヤだ。それでも母は、思わぬサプライズに満面の笑みで喜んでくれた。
「まあ、安いやつだけどね」
照れ隠しでそう言うと母は、
「値段じゃないのよ。あなたの気持ちが嬉しいの」
とまた笑った。それを聞いて、やっとダイヤの価値がわかった気がした。
あのとき母が泣いて悲しんだのは、なにも指輪が高価だったからではない。父の想いが詰まった結晶をなくしてしまったからなのだった。宝石というものは、たとえば時計のように時刻を知らせるわけでも、車のように移動を楽にしてくれるわけでもない。しかしそのぶん、宝石には純粋に人の想いを込めることができるのだ。
光に照らされ、母の首元で小さなダイヤがきらきら輝いた。

二十二歳になったいま、僕には結婚を考えている彼女がいる。かつて父が母に贈ったように、僕も彼女にありったけの想いを込めてダイヤの指輪を贈りたい。きっとそれが、ダイヤをもっと輝かせるはずだから。